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紫式子日記

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酒井健『ゴシックとは何か―大聖堂の精神史』


ゴシックとは何か―大聖堂の精神史
ゴシックとは何か―大聖堂の精神史


電車移動時用だったこの本……。

読み終えました。

いやぁ、ひさびさのヒット

(ひさびさも何も、そもそも学術書読んでナイってうわさ)

いやでもホント、ガチで面白かったです。

んで、読みやすいの。 ←これだいじ。不勉強な学生さんだから



内容は中世のゴシック成立〜ルネサンスでのゴシック弾圧〜18cのゴシック・リバイバル、オマケでガウディ、って感じ。

んでゴシック建築ばっかり延々と追ってるワケじゃなくて、当時の市民感情、政治的・宗教的戦略、他の文化とのカラミまでぜーんぶ書いてくれてある。

曰く、

「ゴシック大聖堂を通して我々はヨーロッパ文化を知ることができるし、

 また逆にヨーロッパ文化の中にゴシックを置いて眺めることにより、

 ゴシックの何たるかもわかってくるのである。」



のっけから感動したのが、ゴシック大聖堂は農村から都市に流入してきた民衆の自然信仰心を慰め、かつ宗教面で統率するという相反した目的を満たすために建てられた、ってコト。


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早坂 隆『世界の日本人ジョーク集』


Defference is interesting.



世界の日本人ジョーク集
世界の日本人ジョーク集



私がエスニック・ジョークという語を初めて目にしたのは『ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ』っていう本で、確か中学生のとき読んだものなんだけど。

で、驚愕の事実ってのが、この本を捨てずに未だ取ってあるってことなのよね。

そのくらい、国民性・エスニシティ間の差異ってのは私の興味を引き続けてやまないものなのですねといまさら認識。



で、1月とかに出た本だったと思うのですが、いまさら読みました。

ジョーク自体はいわゆる「エスプリ」もので、爆笑っていうよりニヤリ笑いなんですけれども。

それよりも、ジョークにまつわる著者の解説のが面白いです。

特に日本の国際的立場(技術面・経済面)の上下により、世界でささやかれるエスニック・ジョークも変わってきているってのは、いわれりゃ当たり前だけどやっぱおもろかったです。



個人的に好きだったのは96ページの無人島ジョーク、ロシア人が特に。

あと44ページとかね……あ、確かにそう見えるね、って……。

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石田衣良『恋は、あなたのすべてじゃない』


恋は、あなたのすべてじゃない
恋は、あなたのすべてじゃない



本屋で思わず立ち読みしてしまったのでメモ。

さわりだけ見た感じ、『空は、今日も、青いか?』のパート?をさらに詳しくしたものっぽい。

「恋を薄くして、人生を厚くしてみる。

 そうすれば恋も厚みを増すんじゃないでしょうか」

みたいなテーマ。

悔しいから買いません。

いや、卒論進んでないし。



本屋チェック最近怠ってたー

こんなのも出してたのね



美丘
美丘




「ミオカ」って確か短篇集かアンソロジーに載ってた記憶があるけど、気のせい?

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『悪女入門―ファム・ファタル恋愛論』鹿島 茂


悪女入門―ファム・ファタル恋愛論
悪女入門―ファム・ファタル恋愛論



またこういう痛々しいものを読んで……と思われるかもしれないが、面白かったのでメモ。

まぁ「面白かった」とか言ってる時点でまたそれはそれで痛々しいんだがな。。。



あとがきによれば、仏文教授である著者が「女の媚び(コケットリー)を駆使して男を篭絡するという技術を知らない」女子たちが「誘惑術を無理なく学べる方法はないものでしょうか?」と考えて書かれたのがこの本なのだそう。

ファム・ファタルというのはラルース大辞典によれば「恋心を感じた男を破滅させるために、運命が送りとどけてきたかのような魅力をもつ女」

そういったファム・ファタルになる方法を女子に伝授する、というコンセプトの本です。

元は女性誌『FRaU』の連載です。



『椿姫』『失われた時を求めて』などのフランス文学の名作が、一貫して「何がファム・ファタルをファム・ファタルたらしめているか」「如何にして女子はファム・ファタルなりえるか」という視点から切り開かれています。

テーマも面白いけれど、学術的文章の書き方としてもお手本になる本だと思いました(大学生4年間やってきて、いまさら何言ってんの。)



いっちゃん面白かったのは『ナナ』かな。

なぜナナは男という男全ての富を食いつぶす高級娼婦になってしまったのか? という考察で、その原因を「貧困・暴力・性欲などのマイナス要因に対する女の側からの復讐」以外にも「下層階級が上流階級に対して抱く無意識の怨恨」があることを指摘しています。

さらにはナナも、ナナに貢いだ男たちも「近代資本主義のメカニズムの歯車」かつその「犠牲者」だったのでは……として結ばれています。

「恋と贅沢と資本主義の三位一体」

なかなか、うならされました。

あと「資本主義の犠牲者」ってのから思い出したのが『マドンナ真実の言葉』にあった「マリリン・モンローは被害者だった。でも私は違う。」っていう辞。

アレなんだよね、森村泰昌もマリリンを「(アメリカ・20世紀的なるものの)被害者」って呼んでるんだよね。




もちろん恋愛のHow To本としてもタメになります。

健気さを装う方法(マノン・レスコー)とか、凹ませた後のコンタクトのタイミング(カルメン)とか。

まぁアレなんだけどね、書かれたところで実践できるのかといわれれば、それはまた別の話なんだけど、ね。

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『魔羅節』岩井志麻子


魔羅節
魔羅節



入りは『自由恋愛』だったんだな。

今思えば、本領じゃなかったんだね。

んで次が『ぼっけぇ恋愛道』ってエッセイで、だんだん「なんだ、こういう人なんじゃんw」って気になってくる。

『ぼっけぇ、きょうてぇ』は先に映画を観て、その後立ち読み。

夢うつつで、夢もうつつも悪夢という感触。

そしてこの『魔羅節』。

やばいね、来たね来ちゃったね

何がどこにて、私がここまで



8篇から成る短篇集。

表題作以外にも「おめこ電球」「金玉娘」と、破廉恥(カタカナじゃなくて漢字)な文字が並ぶ。

言うまでもなく、すべて性に関するもの。

しかし内容は決して滑稽でなく、むしろホラー。

生臭くて、うすら寒い。

どの物語も、性に関わる一方、必ず死にも関わっている。

性はわかりやすくは肯定されていない。

「きょうてぇ=恐ろしい」もの、しかし興味を惹かれてしまうもの、業のように(あるいは死のように)逃れがたいものとして描かれている。

「淫売監獄」に出てくる男根の描写が、この本の雰囲気そのものだと思ったので載せておこう。

「固いのに柔らかく、熱いのにひんやりしていて、恐ろしく血の気に満ちているのに死肉だ。」



扱われている内容が生臭いだけでなく、実際生臭さの描写が多い。

それは死体の臭いであったり、女陰の臭いだったり、いろいろだが。

「打ち上げられて死んだ魚の臭いは、自分の腰巻きの下からも臭う。」(「きちがい日和」)

「ねっとりと粘るような色気、腐った果実の臭い、蜜が滴るほどの艶っぽさの気配を感じた。」(「金玉娘」)



加えて、「おめこ電球」「金玉娘」「支那艶情」は、「ぼっけぇ、きょうてぇ」同様、登場人物(と読み手)が夢うつつの区別が付かない仕掛けになっていて興味深かった。

志麻子センセの中じゃ渾然一体なんだろうか。



そしてこんだけエロくてグロい小説を、平然と男友達の部屋でゴロ寝しながら読んでいられた私の神経は、どうしたもんなんだろうか。

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