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紫式子日記

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奇跡の2000マイル写真集リック・スモラン序文訳

ミア・ワシコウスカさんとアダム・ドライバーさんが出演している『奇跡の2000マイル』という映画があります。
「女ひとり旅」映画でありつつ、「付き合ってない男女バディ」映画としても最高の作品です。
そしてこちら、実話を基にした映画なんですね。


で、実際の写真と映画のスチールとをまとめた『Inside Tracks』という写真集も出されています。
ところが残念なことに、日本語版は(たぶん)出ておりません。


ですので私の方で、アダム・ドライバーさんが演じたカメラマン、リック・スモラン氏(Rick Smolan、リック・スモーラン)がその写真集に寄せてらっしゃる序文「A JOURNY IN PHOTOGRAPHS」を和訳いたしました。
現実は物語より最大手というやつで、すごいリックロビンの燃料なので、皆様と分かち合いたく、ここに載せます。
  • 私(しきこ)が自分で訳しました。コピーライトとかあるので原文は載せません。
  • けっこう意訳しているところもあります。
  • 誤りもあるやもしれません。見つけたら言ってください。
  • 映画も原作本も英語タイトルは『Tracks』なのですが、私の訳では映画を邦題の『奇跡の2000マイル』、原作本を翻訳書タイトルの『ロビンが跳ねた』と訳し分けています。
どこにも在庫が存在せず、図書館で借りるしかない原作翻訳本……。
復刊してくれねぇかなぁ……。



"A JOURNY IN PHOTOGRAPHS"
「写真の中の旅」


この本は第一印象を裏切る。

これは若い女性の2700kmに及ぶオーストラリア内陸部一人旅の冒険物語に見えるだろう。
だが実際には、まったく異なる種類の旅の物語だ。

『Inside Tracks』は、最も危険な土地が、外の世界ではなく自分自身の内側にあることに気づいたとき、何が起こるかの物語だ。

そしてこの本は、僕が今まで出会った中で最も敬服している女性を、どのように知っていったかについての物語でもある。

怖いと思ったときに本能が逃げろと警告する多くの人々とは異なり、この女性の内なる声は、恐怖に真正面から挑み立ち向かえと彼女を駆り立てた。
彼女は(自身の分別には耳を貸さずに)自分がすべきと思った事柄のために、自分の命を危険にさらすのもいとわなかった。

僕が初めてロビン・デイビッドソンと会ったとき、彼女はアリススプリングスの砂漠の町に住み、4頭のラクダと愛犬ディギティだけを連れて、内陸部を横断する準備をしているところだった。
彼女は世界に向けて説明する義務を感じてはいなかったが、旅の費用を必要としていた。
ナショナル・ジオグラフィックは完璧な解決策だった。
雑誌社は必要な資源を彼女に提供すると合意した。
だがその資金提供には大きな落とし穴があった。僕だ。

ロビンは自分の旅を誰かと分かち合うつもりは全くなかった。
ましてや駆け出しのフォトジャーナリストとだなんて。
もっと言えば、彼女は自分の旅について本を書く気は全く無かったし、自分がオーストラリアで最も愛される作家の一人になるとも全く予想していなかったし、何年も経った後に、シーソーフィルムズ(『英国王のスピーチ』でオスカーを獲ったチームだ)に注目されるなんて、夢にも思っていなかった。
その上、ロビンが内陸部を横断しているときには生まれてすらいなかった、ミア・ワシコウスカというオーストラリアのカメレオン女優が、遠い将来自分の物語を銀幕で演じるなんて、旅の途中のロビンが知ったら驚きで何も言えなくなっていただろう。

僕にしたって、28歳のカメラマンにとって単なる夢のような仕事として始まったものが、深淵かつ人生を変えてしまう経験になった。

ロビンはオーストラリア内陸部を愛していたし、魅惑的で美しいと考えていた。
ニューヨークから来た都会っ子の僕には、彼女の目に映るものが理解できなかった。
僕にとってオーストラリア内陸部は乾燥していて不快で、僕が彼女の写真を撮るときの単なるエキゾチックな背景にすぎなかった。
だが旅の間、何回も彼女を追うごとに、僕の写真は変わりはじめ、僕は彼女の目を通して砂漠を見るようになった。
オーストラリア内陸部の光の彩度と色彩は、僕がそれまで体験したどれとも異なっていて、それまでの人生でずっと掛けていたサングラスを突然はずされたようだった。

ロビンは僕が出会った中で最も直接的な人で、彼女が自分自身にしていたように、しょっちゅう僕に挑んだ。
今も胸に響いている会話は、アメリカ人は友情を精神安定剤のように扱うという、ある日の彼女の意見だ。
どういう意味で言っているのか、少し身構えながら尋ねると、アメリカ人は見るたび互いに慰めあっていると彼女は言った……「心配しないで。大丈夫だよ。全部上手くいくよ」と。
僕はそれの何が悪いのか尋ねた。
オーストラリアでは心から気遣うmate(友人)であれば、関係を危うくしてでも、容赦なく正直であるし、ばかなことをしていたら木材で頭を殴る、と彼女は言った。
友人が同じ過ちを繰り返したり、誤った相手と結婚したり、罵倒する上司の下にいるままにしたりはしない、と。
彼女の言い分に同意できないときでも、僕は自分が今まで出会ったことのない思考回路と遠慮のなさを、彼女に感じた。

3回目に彼女を訪れたとき、示唆に富んだ会話をした。
ロビンは数週間誰とも会っていなかった。
一緒に焚き火を囲んで座っていると、彼女は突然
「あなたはいつここに来るの?」
と尋ねてきた。
僕は彼女がおかしくなってしまったのかと思いながら
「ロビン、僕は今まさに君の向かいに座っているよ」
と言った。
彼女は僕を見つめて言った。
「ううん、あなたはここにいない。あなたは台湾で撮影したフィルムのことや、私のところを離れる2週間の間、車をどこに置いておくかや、自分の写真が来週の『TIME』の表紙になるか気にしてる。あなたの姿はここにあるけど、あなたはここ以外のいろんなところにいる。来るんなら、ここに私といて、ずっと気をそらさないで!」

僕が最も恐れていたことの一つは、ロビンの身に何か起きて、彼女が旅の途中で死んでしまうことだった。
野生のラクダに攻撃される、行方不明になる、水がなくなる、日射病、毒蛇や毒虫、ラクダから落ちて負傷、彼女の荷物全部を持ってラクダが逃走、狂人に遭遇……危ないことを挙げればきりがなかった。

内陸部の旅の合間に、僕は香港に出張し、ヒルトンホテルで『TIME』支部長のリチャード・バーンシュタインと朝食の約束をしていた。
リチャードは僕がロビンの旅に断続的に同行していることを知っていた。
彼のテーブルのところに行くと、彼は青ざめた顔で、掛けた方が良いと僕に言った。
彼は僕にサウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙(香港の英字新聞)を手渡した。
一面の見出しに「謎のキャメル・レディ ギブソン砂漠で行方不明 絶望的な捜索進行中」とあった。
僕の心臓は沈み、どうやって空港に行ったのか記憶にないが、次に憶えているのは、パース行きの途中、ダーウィンで飛行機が給油しているときに目覚めたことだ。
CAがオーストラリア周辺の朝刊を配っていて、どの新聞も、僕が撮ったロビンの写真を一面に載せていた。
彼女の失踪が確定していない限り、ナショナル・ジオグラフィックは僕の写真を公開しないはずだと、すぐに思った。

僕はそのとき、2週間前に、オーストラリア横断の世界記録を目指すレーシングドライバーが、真夜中に彼女の焚き火を見つけ、急ブレーキを踏んだことを知らなかった。
彼は何分かそこに留まり、やがて焚き火は土ぼこりの中で燃え尽きた。
彼女は後に、このときはとても疲れていて、彼が現実なのかわからなかったと僕に語った。
彼女の旅に彼が現れたことは、たしかに現実だった。

これも後に知ったが、レーシングドライバーがシドニーに到着し、その快挙を祝う記者会見を開いたとき、ある記者が彼に、この旅で何が最も印象に残っているかを尋ねたのだそうだ。
彼は記者たちに「謎めいたキャメル・レディ」と過ごしたロマンチックな夜について語った。
その発言が「行方不明のキャメル・レディ」についての完全なでっち上げになり、80人以上のパパラッチが世界中から西オーストラリアに押し寄せた。
世界の他の人々と同じように、僕はロビンが本当に行方不明になり、恐らくは死に、もしかしたら二度と見つからないと信じていた。

僕は必死で彼女を探したが、僕がそうするまでに、たくさんの記者とカメラマンが僕を追いかけてきていた。
この寄生虫どもは、でっち上げられた物語と共に、ハエのようにロビンを襲った。
何日か、彼らは立ち去る気配を見せず、彼女は旅を中断するか考えるほどだった。
ある夜、皆が眠っている間に、僕は彼女を自分のランドクルーザーに隠して、32km離れた牛小屋に連れていった。
記者たちが立ち去るまで1週間待ってから、彼女は旅を再開することができた。

ロビンが最も信頼していた旅の道連れは、彼女の守護者であり寝袋の友、親友であった忠実なケルピー犬のディギティだった。
ある夜ロビンは、焚き火のそばで、どのようにディギティが彼女の人生の重要な一部になったかを僕に話してくれた。
ラクダでの旅をする2年前、病院で働いていたとき、ロビンは地下に実験用の動物たちがいることを知った。
動物たちの苦しみを見、恐れに耐えられなくなったロビンは、ある晩ひそかに病院に戻り、動物たちを自由にした。
一頭の小さな犬、ほんの仔犬だけが、立ち去らなかった。
そうしてディギティはロビンの人生の一部になった。
恩に報いるように、ディギティは旅の間、何回もロビンの命を救った。

旅の間、いつの日か旅についての本を出せるように、日記を付けるよう、僕はロビンに勧めつづけた。
彼女の反応はいつも予想できた。
「どうしてあなたは何でもかんでもパッケージングして取引して売れるようにしようとするの? どうしてあなたはそれ自体を目的として何かを味わえず、それを友人にどうやって語ろうか考えずにはいられないの?」

旅を終えた3年後、ロビンはその旅についての本を書いたと僕に電話してきた。
僕は唖然としながらも、僕の日記の写しが必要かどうか尋ねた。
彼女はそれを丁寧に断ったが、僕には本の草稿を送ってくれた。

『ロビンが跳ねた』を初めて読んだときのことで、2つ思い出すことがある。
1つめは、ロビンはなんて力強い書き手なのだろうとびっくりしたことだ。
僕はその物語にすっかり魅了され、完全に彼女の世界に引き込まれた。
2つめは、僕らのほとんどは地層のように、最近の記憶は一番上に新鮮な状態で、古い記憶ほど色あせ圧縮した状態になっていくにもかかわらず、ロビンは旅の日々を、今まさに起きているかのように記憶している、並外れた能力の持ち主だったことだ。

日記やメモ無しで、細かなディテール、音、匂い、感情、一言一句違わぬ会話、小さな虫が砂に描いた模様までも、彼女は呼び起こし、生命を吹き込んでいた。
僕はロンドンの彼女の家に立ち寄り、一体どうやってこんなに迫真のある旅の再創造ができたのか尋ねた。
彼女は僕を叱った。
「私はそこにいたからよ。あなたが写真を撮りまくったりカメラバッグのことを考えたりフィルムの彩度を上げようと露出を半減させたり日記帳になぐり書きをしたりしてる間に、私はすべての瞬間を自分に経験させてたの!」

彼女は正しい。
僕はいつでも情報を選別していた一方で、彼女は旅のすべての瞬間を経験することを自らに許していた。痛みも驚きも。

『奇跡の2000マイル』が世界中の映画館で公開される前、プロデューサーのエミール・シャーマンと監督のジョン・カランは、僕のために、ロサンゼルスでの非公開上映を快く開催してくれた。
サンセット大通りにある小さな映写室に入るとき、僕はわくわくして、懐かしい思い出をたどるのを楽しみにしていた。

しかし、映画が始まって数分で、僕は自分が座席の肘掛けを掴み、汗が噴き出し、心臓が強く打って、本格的な不安の発作に陥っているのに気づいた。
暗くなった映写室で独りで座っていると、恐怖があふれ、旅の間、車でロビンの元から去るとき、毎回バックミラーを見て、もしこれが彼女の最後の思い出になったら、彼女がそこで死んでしまったら、と考えていたのを唐突に思い出した。

忘れていた記憶たちの急襲によって、僕は『奇跡の2000マイル』の初鑑賞を楽しむことができなかった。
僕が初めてちゃんと『奇跡の2000マイル』を体験できたのは、トロント映画祭で800人の映画ファンたちと共に鑑賞し、ロビンが野生のラクダに襲われるシーンで彼らが息を飲み、アダム・ドライバーに一斉に笑い(「リック」が「鉄砲水に備えて」と騙されて買ったゴムボートを持って現れたときの、気まずさと居心地の悪さを、彼は面白く表現していた)、ロビンが親友を失ったシーンで泣くのを聞いたときだった。

『奇跡の2000マイル』が公開されてから、ロビンと僕は何回も、その映画がどのくらい実際に起こったことに近いのか質問された。
当然ながら、映画の「ロビン」と「リック」は僕たちのフィクション版だし、多くの出来事は、映画の90分の尺に収まるよう、脚色されたり改変されたりしている。
そして、あらゆる意味で、ロビンと僕ですら異なる旅をしていたし、旅の部分部分をお互いに非常に異なる形で記憶している。
皮肉なことに、僕たち2人が今恐れていることは、映画版の出来事(ジョン・カランが力強く監督し、マンディ・ウォーカーが美しく撮影し、ガース・スティーブンソンが魅惑的な楽曲を付けた)が、実際の出来事についての僕たちの記憶を塗り替えはじめることだ。

常に、ひとつの大きな問がロビンの旅を覆ってきた。
数千万人のナショナル・ジオグラフィック読者が初めてロビンの物語を体験したとき、100万人以上の読者が18の言語で『ロビンが跳ねた』を読んだとき、何億人もの映画ファンが『奇跡の2000マイル』を観たとき。いつだって人々が最初に尋ねるのは「なぜロビンはこの旅をしたのか?」という問だ。

それはロビンが答える必要を全く感じてこなかった問でもある。
恐らくそれぞれの人々が自分なりの結論に至れるからこそ、ロビンの思いもよらない旅は、切実なものなのだろう。
僕にとって重要なのは、僕たちの大部分が無視してしまうような内なる小さな声に耳を傾けるのを、ロビンが自分自身に許していたことだ。

あなたがこの本のページをめくり、ロビンの実際の旅を体験し、そして彼女の旅を銀幕に再創造した俳優たちと合流したら、「あなたはあなた自身が許す限り、パワフルで強くあれるし、どんな試みも一番難しいのは最初の一歩なのだ」という『奇跡の2000マイル』の一節を思い返してみることをおすすめする。
僕が最も深く願っているのは、ロビンの旅が、あなたが自分の内面に目を向け、あなた自身の旅、あなただけの「ラクダの旅」を見出すインスピレーションになることだ。



『Inside Tracks』にはロビン・デイビッドソン氏によるあとがきも載ってまして、そちらもいずれ訳したいですね……。
いつになるやら……。

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