忍者ブログ

紫式子日記

Home > ブログ > Art

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

早稲田大学の寺山修司展


早稲田大学の寺山修司展 〜青少年のための寺山修司入門〜



久々に、アングラな感じで。

つぅかもっと早く開催に気づけば良かった。

今日最終日じゃん。。。



天井桟敷の資料や、雑誌記事・書簡が展示されていました。

横尾忠則のポスターとかね(笑)

展示スペースはさして広くなく、展示品も「入門」とされている通り、それほどコアなものは無かった気はしますが。

自筆書簡とか、天井桟敷の公開当時のパンフレットとかもあって、ファンの方ならじゅるりだったのではないかしらん。

私なんかは『青女論』しか読んでない甘ちゃんだから、文字通り「入門」とするしかできなかったのですけれど。

東由多加の名前とか、才能が才能を呼んで集結させていたような時代が偲ばれました。



お得だったのが、同時開催企画で映画実験室・人力飛行機舎による、寺山修司監督の実験映画を無料で(!)観られたこと。

上映作品は『二頭女―影の映画』『ローラ』『審判』の3作。

拍手[0回]

PR

レオナルド・ダ・ヴィンチ展


レオナルド・ダ・ヴィンチ展行ってきました。

メインはレスター手稿の展示で、「画家」レオナルドではなく、「万能の天才」レオナルドにフォーカスが当てられています。

画家業がレオナルドの幅広い芸才の、ほんの一角に過ぎなかったことがよくわかる展示。

天文学、流体力学、地球物理が主に扱われていて、どれかってーと「自然科学」、理系分野ですよね。

しかし、500年前にあれほどの発想をしたっていうのに驚きです。

まだまだキリスト教会が人々の生活と思想を取り仕切っていて、ろくな実験・観察器具もない時代に!

やはり、天才。

鏡面文字を書くその脳は、恐らく他の人々とは違う世界を観ていたのでしょう。



惜しむらくは!!

人多過ぎ何も観れやしなかったこと。

泣く泣くカタログ買って帰ってきました。

家でゆっくりレオナルドと対話するさ。

拍手[0回]

ドイツ写真の現在


竹橋に来る用事(って言ったらバレバレなんだろうか)があったので、ついでに東京国立近代美術館「ドイツ写真の現在」展を観てきました。

観て「怖いっ!」って思う写真に久しぶりに会いました……



のっけから足元ぐらつかされたのは、ベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻の作品。





(ペンシルヴェニア州ベツレヘム  1986年 ©the artist )


給水塔、炭鉱の採掘塔、鉄鋼所の溶鉱炉みたいな産業建築物を淡々と撮っているのですが、これがなかなかどうして、気味悪い

同じ形のクレーンや煙突が並んでいる風景が、この人たちのファインダーを通すとすごく不気味でグロテスクに見えるんです。

あと、給水タンクとかガスタンクが画面全体にバン! と来た写真とかには、無生物なのに威圧感・圧迫感を覚えました。

でも、ずっと見てるとそのタンクが、支柱で地面に縛り付けられているようにも見えてくるんですよね。

工業化社会の不穏さ・恐ろしさと悲哀を同時に撮りこんでいるように感じました。



アンドレアス・グルスキーはベッヒャー氏の教え子。

「同じ形が並んでいる風景」の奇怪さを鮮やかに撮っているところが共通していますが、グルスキーの方が色彩・構図が幾何学的・無生物的。





(グリーリー  2003年 ©Andreas Gursky)


そのよそよそしさがまた、人間疎外窮まった現代社会! って感じで、ゾワゾワさせてくれました。



トーマス・デマンドの手法も面白かったな。




拍手[0回]

デ・キリコ展




巨匠デ・キリコ展
大丸ミュージアム



やっと行ってこれましたよー。



キリコも、実はよく知らなかった画家

『沈黙のミューズ』と『不安を与えるミューズたち』は知ってるよ〜? くらいな感じ。

知ろうとしなかったっていうかね。

母親の葬式でもかおひとつ変えなかったマグリットが、キリコの絵を見て涙を流した……っていうエピソードで、きちんと知っておかなきゃとは思ってたけど、いかーんせーん、色彩とタッチが私好みじゃなくって。

延ばし延ばしでここまで来たんですが。

「まぁ、こういう人だったのね!

って思わせてくれる展示でした。



展示の中心になっているのは、彼が80歳代に描いた、新・形而上絵画。

ですから所謂「キリコ」と言われて思い浮かぶ作品群ですし、90歳で没したことを考えると、晩年に至った境地を拝見することになる訳です。

ただ、私が興味を持ったのはむしろもうちょっと若い頃の、古典絵画の模写・デッサンです。



上手いんじゃん


なんて畏れ多いにも程があることを思ってみたりもして。。。

あれらの、不安・切迫感がダイレクトに描かれた一連の作品を観て、初めて形而上絵画に漂う特異な雰囲気の正体がわかるのかな、と……。



一見のどかな日常に潜む、ちょっとバランスを崩せばたちどころに現れそうな、不安。

そして、それらを取り囲むように配された、三角定規や幾何学的な立体図形、何よりそれがキャンバス上の「寓意」であるというギリギリの安心感。

だけど、『ヘクトルとアンドロマケ』に見えるこの親密さは本物の気がするぞ?



……そんなことを、感じつつ……だからちょっと居心地の悪い、だけれど何周もしてずっと観ていたいような、そんな展示でした。



そうそう、この人やっぱり大学で理系だったんだね。

道理で。って感じだったよ。

拍手[0回]

ギュスターヴ・モロー展(後期)


(前期)も行ったけど、また行ってきたよ。

Bunkamuraのギュスターヴ・モロー展

会期も終わりだからか、平日の昼間なのに盛況。

Bunkamuraの客はしかし所得階層も年齢階層も高そうである。(!)



やはり本につけ映画につけ展覧会につけ、同じものを複数回鑑賞するというのは新たな発見を生むらしい。

前期は全然気にならなかった「一角獣」に、今回はトキメキに似たものを覚えましたよ。



なんかこの絵だけやったらエロ色っぽく見えてさ。

なんでだろー、って思ったら、この絵、モローにしては暖色系なのね。

他の絵は人物の影に青とか緑とか使ってあって、具合悪そう〜〜〜な感じだけど、これだけ健康的っていうか。健康美っていうか。



あと、「出現」はやっぱり何度観ても凄い。

凄みを感じる。



しっかり塗りこまれたヨハネとサロメが、他の作品に比べて圧倒的な存在感を醸してるんだな。

目線の対立が「凄み」かな。

本当に「気」みたいのを帯びてる感じがするもんね。

分厚く卵色の絵の具が塗られた、光の表現にもゾクゾクする。



そして今日思ったこと。

実はモロー、小品向きの画家だったんじゃないか。

だって、なんであんなに素描とか習作とか念入りに準備するのに、

出来かけの作品ばっかなの。



いざ描いてみたら思ってたのとズレてたんだろーなー、うーん。



「神秘の花」は、油彩ではなく水彩の習作でした

でも、油彩の怖〜い無表情と全然違う、明らかに「マリア」なやさしい微笑みで、びっくりした。

拍手[0回]

PAGE TOP