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紫式子日記

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「球体写真二元論:細江英公の世界」展


「写真とは被写体と写真家の

関係の芸術である」


細江英公



写真家・細江英公の世界―球体写真二元論
写真家・細江英公の世界―球体写真二元論


東京都写真美術館で開催中の「球体写真二元論:細江英公の世界」展に行ってきたよのさ。



来ようと思ったきっかけは森村泰昌で、彼が細江氏の『薔薇刑』をベースに

三島に扮した『薔薇刑の彼方へ』ってシリーズを観ていたから。

プラス、DUEカードで使われていた「おとこと女 #15」にガツンとやられ、

参詣を決めました。



実は写真美術館はじめて。

森村泰昌を好きじゃなかったら来なかったかもしれないなぁ……

なんて思うと、縁って不思議。出会いって不思議。



しかも本日4日、13:00〜の学芸員解説を聴いてきました!



まずは今回の展示方法について。

写真集別の展示をしています。

各ブースの中央には展示作品を収録した写真集が置かれ、

壁はブースごとのイメージカラーで塗りわけられています。

ブースはすべて中央のフロアに直接つながっていて、

その中央に立てば全ブースをぐるり、見回すことができます。

そうすることで細江作品の「多様性」ならびに

それらすべてが細江英公であるという「統合性」を表現したかったのだとか。



展示は『おとこと女』シリーズから始まります。



◎『おとこと女』1961 〜性のドキュメント〜



美的対象としての「ヌード」も、欲情を駆り立てるための「ポルノグラフィ」も

すでに存在していたけれど、これはどちらともちがう……

これは「性」をとりあげた最初の表現だ、というのがコンセプト。



接写したり、動的なポーズをとらせたりして撮られた作品は、

なるほど「肉体」に誠実に、実直に向き合っていることが感じられます。

肉体の荒々しさを強調するため、

わざと粒子は粗く、コントラストは強くされています。



ですがラストの作品は、男性が胸元に

そっと文鳥とインコを抱きしめている繊細な写真。

その「繊細さ」こそが、一見スキャンダラスな細江作品にひそむ

根源的なファクターではないのか、というのが今回の展示の解釈です。



また、男性モデルとなった舞踏家・土方巽と細江は、

これ以降、土方の死に至るまで互いに不可欠な存在でありつづけます。



(※『おとこと女』はこの展示にあわせて復刊され、ナディッフ系列の書店で購入できます。)





◎『薔薇刑』1963 〜三島由紀夫に関するドキュメント〜



Ba-ra-kei: Ordeal by Roses

バロックな背景、名画とのコラージュ、突飛な小物から

ともすれば「前衛的」「スキャンダラス」という印象ばかりを

受けてしまいそうな『薔薇刑』。

ですが撮影場所は三島邸、コラージュされた名画も

三島所有の画集からのコピー、小物も三島邸のもの。

つまりこれはシュールレアリスム的表現というより

「三島由紀夫のモンタージュ」といえそう。



頭部が時計におきかわった写真なんか、ダリっぽくっておもろいなぁ

なんて思っていたのですけれど、学芸員さんの解説を聞いて

「面白さ」に奥行きが増しました。



あとこれは三島のほうから「撮ってくれ」ってオファーした写真集らしいね

『おとこと女』で見せた重量感・質感ゆたかな肉体表現に理想を見出したんだろうな






◎『鎌鼬』1969 〜記憶のドキュメント〜



鎌鼬

東京生まれ・東京育ちの細江が、戦時中、

母親の実家である米沢に疎開した際出会った

「日本の風景」を写し出したのではないか、という

『鎌鼬』シリーズ。


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マッハで今年を振り返る 〜美術編〜


今年の反省事項は、ぜんぜん美術館に行けなかったことですね。。。



それでも印象深い展示を挙げれば、エルンスト・バルラハ展「ばらばらになった身体」展ですね。

いずれも小さなものでしたが、静謐な雰囲気が好きでした。



cow paradeも燃えましたね。

結局フルコンプしてないけど、いろんな人からTBがあって、

「みんな楽しんでるなぁ」

ってのがわかった。

丸の内オアゾあたりの近未来的な町並みとのマッチも、

歴史ある建物とのミスマッチも、両方味があった。



あとアート絡みで個人的一大事だったのは、森村泰昌さんを卒論で取り上げさせていただいたこと!

「相反する二つのものを仲介する」巫女のような存在、という視点から書かせていただきました。

それはそのまま私が好きな要素であったことにも気づき、

自分の人生の、あるイミひとくぎりとなりました。とりあえず。

パフォーマンスを観にいけたのも、すてきな思い出です。



芸術家Mのできるまで 踏みはずす美術史―私がモナ・リザになったわけ 美術の解剖学講義 空想主義的芸術家宣言



「相反する二つのものの融合」という点で、いま個人的に追っているのがゴシック文化。

その楽しさに気づかせてくれたのは『ゴシックとは何か』でした。

里子に出す予定の『テクノ・ゴシック』も、読めるだけ読むつもり。



ゴシックとは何か―大聖堂の精神史 テクノゴシック

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ダリ回顧展




ダリ回顧展


行っちゃった。

ただし、閉館30分前(=入場ギリギリ)に。

大規模な展示です。

当然、見切れません。

(その上、上映15分の『アンダルシアの犬』なんか観ちゃった日にゃあ。)



ドタバタした中でも感想。

サルバドール・ダリ美術館とダリ劇場美術館の作品のみを扱った展示なんですよね。

だから『ラファエロ風の首の自画像』ですとか『焼いたベーコンのある自画像』なんかは来てますが、『記憶の固執』とか『目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢』あたりはありません。

いわゆる「花形」がない代わりに、少年時代の作品・晩年の作品が豊富です。

一般に流布し、定着しているダリのイメージを裏付ける……というよりは、「人間・ダリ」の生涯を丹念に追っていく印象を受けました。



会場の内装も気合が入っています。

年代により、セクションを区切る鮮やかな色が素敵。

ジグザグの通路も凝ってます。

パリのエスパス・ダリで使ってたダリの肉声入りBGM掛けてほしかったですね、個人的には。



と・は・い・え。

1/3は知ってる作品だけど2/3は知らないという状態。不勉強だから。。。

そのため絵に現れるモチーフですとか、題名の言葉遊びがわからず、潔く目録を購入しました。

目録、豪華ですよ!

解説は詳しいし装丁もきれい。

長く開催される企画なので、目録で自習してから再挑戦します。

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ベルギー王立美術館展


ベルギー王立美術館展行きましたよ。

めちゃめちゃ穏やかな陽気だった木曜日。



当初の目的はマグリット・デルヴォー、余力があったらアンソールも悪くないよなぁという、モロ近代作品狙いだったのですが、大きなマチガイでした。

古典作品もスッゴいの来てます。

というか、私が愛してやまない近代絵画も、ちゃんとその土地の美術的伝統の上に成り立っているのね。ということを学ばせていただきました。





まず会場に入ると、公開記念動画が流れています。

内容は、ベルギー王立美術館での所蔵作品の維持・修復の模様と、美術館を訪れる人々の様子。

どこの美術館でもやっていることなのですが、こうやって改めて映像で見せられると、作品への愛を感じさせられます。

これから観る作品にも敬意を払おうと、居住まいを正されました。





コンセプトによるセクション分けはなされておらず、作品は時代順に並んでいます。

今回も気に入った作品メモでお送りします。



◎ブリューゲル(子)『婚礼の踊り』

朱色がすごく鮮やか。

教科書で何度も観た絵だけれど、実物は本当に表情が豊か!

表現がマンガ的なんですよね。で、すごく緻密。

垢抜けた印象はない絵ですが、観ていてすごく楽しいです。

1人1人の表情を、細かくチェックしてみたい感じ。



◎ピーテル・ブリューゲル(父)『イカロスの墜落』

ベルギーから出るのは初めてというこの展示の目玉。

題名が題名だから、墜落するまさにその場面が大写しなのかと思ったら、一見漁村の日常風景。

はるか眼下に海が広がっていて、そこにぽちゃーんと落ちている。イカロス。

死もまた、日常。

(子)の『鳥罠のある風景』といい、でもそんな、改めて言わなくたって、、、。ってくらい、諧謔。

フランドルの静物画も放ってるメッセージは似てる、よね。



◎ヤーコブ・ヨルダーンス『飲む王様』

車内広告に使われていたこの絵。

王室の様子かと思っていたら、クリスマスの「豆の王様」なのですね。。。

印刷物にすら感じたけど、やっぱり実物は生命感・生々しさがスゴい。

決して美しくはないけれど、熱狂・狂乱が時空を超えて伝わってくる感じ。



◎ヤーコブ・ファン・スワーネンブルフ『地獄のアイネイアス』

細かい・細かい・細かい……。

ボスの『天地創造』「地獄」みたいな色彩・雰囲気なんだけど、とにかく描きこみが細かい・細かい・細かい……。

虫眼鏡使いたくなりました。

ブリューゲル親子といい、こういう細かさはこの地域の画家の十八番なのかしらね。

こう、絵の内部へ内部へ、自分の心象へ心象へもぐりこんでいく感じ。



◎素描

↑みたいなことを考えていたら、古典素描の展示が。

油絵ですら細かい人たちに、ペンなんて持たせたら何をかいわんやです。

頭痛とめまいを催しました。



◎フランソワ・ジョゼフ・ナヴェス『砂漠のハガルとイシマエル』

明確な物語と対象を扱ってはいるのですが、何もない空と砂漠にシュールっぽさを感じます。

特に空には、マグリットがのぞいた。

そうか、マグリットの空も精神世界的な作風も、ベルギーの伝統だったんだ。



◎フェリシアン・ロップスの作品

『娼婦政治家』以外の作品、初めてかも? 「ベルギー象徴派展」にもあったか。

この人は上手いですねー。

女の汚らしさ・醜さ、人の心の意地汚さ・いやらしさ、どうしてこんなに生々しく描けるんでしょう?



◎ジェームズ・アンソール『怒れる仮面』

フランドル画家の諧謔精神を引き継いだのはロップスとこの人ってことなのかな。

構図がシンプルだから勘違いしてたけど、これ、実物は案外大きいのね。



◎ジャン・デルヴィル&クザヴィエ・メルリ

知らない画家さんだけれど、象徴主義ちっくで好みだったー。



◎ルネ・マグリット『光の帝国』

デザート的に、シメはコレで。

やっぱりこの人の青空は好きだな。

うそ臭い、だけどリアル。

でも実際の空を見ると、マグリットの絵と同じくらいうそ臭かったりする。

特に「光の帝国」シリーズは画力が安定してからの作品群なので、絵の巧拙を気にせずにふしぎワールドに入り込め、いいですねぃ。





集客力のある有名絵画が来ているわけではありませんが、展示全体にチャーミングさを感じます。

感銘を受けるというより、いとしさを覚える

そういう展示でした。

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渋谷サブカルツアー(2):「薔薇を生む、わたし。薔薇を愛でる、あなた。」


この日のメインディッシュは、UPLINKで行われた「薔薇を生む、わたし。薔薇を愛でる、あなた。」というトークショーでした。



司会は未映子さん・吉田アミさんという前衛音楽家のお2人。

彼女たちがゲストを交え「創作」について語り、そこから創り手/受け手(=薔薇を生む、わたし/薔薇を愛でる、あなた)の関係性について考えを巡らす、というのが企画主旨だったのかな。

吉田さんが感じた創り手と受け手のズレ、そして創り手自身が自分の作品・創作を語る場を設けたいという思いから発案された企画だそう。



スタートはお2人それぞれのパフォーマンスから。

お2人を見て改めて思ったのだけど、「前衛」って荒唐無稽に見えて、痛切なまでに論理的なんですよね。

荒唐無稽を言語化して、対象化できてしまうから意図的に荒唐無稽に見えることをやれるわけで。

実際未映子さんの詩(詞)は、社会学で言うところの「規範」をバラしているし、吉田さんはトークが始まったら見事なつっこみと誘導で場をまとめあげたし。

いちいちいちいち言語化してしまう、そしてそれにまじめに取り組んで作品にしていく、そういう方たちなんだと思います。



1人目のゲストはエロ漫画家のドルショック竹下先生。

セックス実録ルポの裏話や、連載予定のエロ挿絵の紹介、何よりアケスケなシモ・トークでイッキに空気が暖まりました!!

ただ、ここを起点に会全体が 創作<シモネタ になった感が否めズ。。。

とはいえトーク自体は爆笑モノでしたし、何より竹下先生のエロに体当たりして生きてきている様に、感じ入りました。恐れ入りました。

うちのOGらしいです。後輩であることを誇りに思います。



2人目はなんと、『東京膜』の渡辺ペコ先生!

作風どおりの、真摯で実直な方でした。

すごくまじめに淡々と、読者の目を気にする/しないループですとか、まんがは商品/作品ループについて語られていました。

矛盾・相克を無理やり一元化しようとせずに、戸惑いつつも放し飼いにしている、そういうところに好感を覚えました。なんだか。



3人目はAVライターの雨宮マミさん。

この人の話は、創作云々っていうより女ゆえの業界内での苦労とか、そういう話の方が印象に残ったな。私の興味の都合上。

就職にいたる過程とか、彼女自身の人生自体が興味深かった。



未映子さん・吉田アミさんの狙いにはもうちょっと、でしたが、トーク自体はすごく面白かったです。♪

なんか、イッキにいろんな世界をのぞきました。

トークショー面白いなー。好きになりそう。

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