忍者ブログ

紫式子日記

Home > ブログ > Art

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

展覧会「中村宏|図画事件 1953-2007」




★名古屋市美術館HP/展覧会ページ



たしかMOTでやっていたのだけど、

あそこいけすかないのでw

行きそびれていたのね。



この人の作品は、

確か中学だか小学校だかの

美術の資料集で見てた

気がするんだけど。これ↓





作家名とか、他の作品とか

意識したことはなく。

初期作品〜近年の作品

(御存命なのですね・・・;)

を網羅したこの展覧会は、

ありがたいものでありました。



ロシア・アヴァンギャルドとか

そうだったんだと思うんだけど、

えてしてこういう

実験的な画風の人は、

実験的な政治思想

結びつきがちというか・・・




拍手[0回]

PR

森村泰昌「美の教室、静聴せよ」展




横浜美術館展覧会概要



行ってはきたものの。



すでに森村さんを知ってる人には

物足りないかもしれません。



新作もないですし、

新しい見解が発表されている訳でもない。



代表作が並び、

無料貸し出しの音声ガイドで

森村さん自身によって解説される、

森村泰昌入門、という印象を受けました。



そして「授業」形式の構成、

本人による音声解説というのは、

森村さんが常々主張する

「自由に鑑賞する」

ことを妨げる
気がするのですが、

どうでしょう。

確かに予備知識が必要な

展示内容ではあるのですが……。



そしていつもどおり、

「森村は多くを語るが、

自作の意味をコメントすることは

微妙に避ける。

意味はつねに謎、

空白のままにおかれる。」
(岡部あおみ)

モリムラは何を考えていたのか?

いま、何を考えているのか?

これから何をするつもりなのか?

「奥ゆかしい」彼は、

今回も語らずじまいなのです。

拍手[0回]

「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」展


東京国立近代美術館展覧会情報


アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶


「Pen」に国立近代でやってるよー

というのが書いてあって、

慌てて馳せ参じた。

Pen (ペン) 2007年 7/1号 [雑誌]
Pen (ペン) 2007年 7/1号 [雑誌]


「マグナム」展のことも

以前取り上げたけれど、

今回のはブレッソン単独です。



さすが、作品数がハンパない。





見所は本舗初公開の

ヴィンテージ・プリントかもしれません。

ブレッソン自ら現像した

プリントがほとんど。

だから、彼自身の解釈を

もっとも的確に反映した

プリント
といえましょう。

それは、グレーがかっていて、

どこかぼんやりと溶けそうに、

優しい印象のものでした。





展示構成は、撮影現場となった国々別。

これはフォト・ジャーナリストとしての

彼の生き方を重視しての構成といえます。

見比べて思うのが、

どれも確かに「ブレッソンらしい」のですが、

それと同じくらい「その国らしい」



これはひとえに、

ブレッソンがそこに暮らす「人々」

大切に観ていたからではないかと思います。



写されている景色や人々は、

どこかコミカルで、少し物悲しい。

特にアメリカの写真には、

ロックウェルのイラストと

似た部分を感じました。



とはいえこの構成はあまり後味が残らず、

国立近代美術館の展示にしては

やや物足りない印象も受けました。

どうやら世界各地を巡業している展示で、

国立近代オリジナルの構成では

なかったようです。

拍手[0回]

「Ashes and snow」


「Ashes and Snow」公式サイト



行きましたよ、ノマディック美術館@お台場。



コンテナの壁と、紙筒の列柱でできた仮設美術館。

デザインだけ見ると、なんだか神殿のようです。

今気づいたけど、荒野を旅していたときの

イスラエル人の「天幕」を思わせる。



内部は薄暗く、夜の寺院を連想させます。

瞑想にふさわしい空間というか。

エキゾチックで土着的な、

それゆえ心に強く響く、

映像作品のBGMが、館内全体に響きます。



お香はさすがに焚かれていませんでしたがw、

床に使われている木材の匂いに、

心が落ち着きます。



近未来的なお台場の風景に出現した、

人を安らがせる場。

ふと思うことは、偽善なのやら、風刺なのやら。



作品も、野生動物と人が共に写っているものばかり。

それらは、ヒトがケモノを支配する、

見下すという構図ではなく、

ヒトがケモノの一種になっているような。

ケモノがヒトより崇高な存在に見えるような。

ヒトもケモノも自然の一部だと、

当たり前のはずなのにずっと忘れていたことを、

そっとゆさぶって思い出させるような。



映像作品で、多く登場するのはダンス

揺れる木々、波打つ水面の動きを模したような、

ゆるやかにたゆたう官能的なダンス。

「僕は、ダンスそのものになりたい。」

映像作品の中の台詞。

それは「自然そのものになりたい」と

同値に聞こえることば。



また、瞑想している人物や、

眠っている人物が被写体に多い。

写真がセピアで単色なのとあいまって、

なんだか「弔い」「葬送」のように見えた。

ヒトもケモノも、死んで自然の循環に組み入れられる。

そこまで考えてしまったのですけれど、

どうでしょう。

拍手[0回]

「アートで候 会田誠・山口晃 展」


「アートで候 会田誠・山口晃 展」@上野の森美術館



もっとも注目される現代/日本/芸術家の双頭、

会田誠×山口晃展に行ってきましたよ。



「和」テイストを多様すること、

精緻な技術、

あとイケメンなところ等、

共通項も多い2人ですが、

会田誠はグロ!

山口晃はコミカル!

というのが、大きく違う点だと思っておりました。



ただ、この展示では

「会田誠のコミカルなところ」

「山口晃の毒っ気のあるところ」

も見れて、

「ひとつぶで4度くらいおいしい」

内容になっています。





印象深かった作品……




拍手[0回]

PAGE TOP