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紫式子日記

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「リアルのためのフィクション」展


東京国立近代美術館 「リアルのためのフィクション」 Webページ



狙って来たけど、やっぱりアタリだった。

展示点数こそ少ないけれど、無料解説パンフレットに



「アートとは昔から、

 ひとびとの感覚を研ぎ澄ますための

 『砥石』のような存在ではなかったでしょうか。」




なんて書いちゃうカッコよさ。



コンセプトは

「リアルを把握するために、

 あえて日常にフィクションを置くアート」


ってことだったらしいけど、

アーティストごとで、そのアプローチ法は違うように思えました。



やなぎみわは「寓話シリーズ」をどこかで見て「ヤられ」たのだけれど、

やっぱりスゴかった。

Webで見るとわかりにくいけれど、けっこうデカいんですよ、この人の写真。

その迫力と、蜷川実花の写真にそのまんまクロを増やしたような、色彩の鮮やかさ

そして、モチーフの切なさ、憂鬱さ、倦怠感

展示されている『案内嬢の部屋1F』は、特に諷刺性が強くて

「ごっ、……ごめんなさい!」

って謝りたくなる感じだった・笑。



ソフィ・カルも面白かったな。

ソフィをモデルに、知人が小説を書きたいって言ったらしいんですよ。

ソフィはそれを快諾すると共に、

自分がモデルとなった小説の主人公「マリア」に自分を似せて、行動するんです。

その様を写真に撮ってあって、ざっくりいえばコスプレ写真なんですけど、

なんだか楠本まきの『致死量ドーリス』みたいなハナシ。

自己を追い求めるための、自己の放棄。



致死量ドーリス
致死量ドーリス


イケムラレイコは、そんなにインパクトなかったかな……。



塩田千春『bathroom』は、想像してたよりスゴかった。

ソーゼツだった。

お風呂場に泥水を満たして、

体を清めるはずのオフロで体を汚す

ってパフォーマンスの映像なんですけど、

まぁ「過剰な泥遊び」ですよね。

んで、モノクロだから、脳内で勝手に彩色できるんです。

するとなんだか、かぶってる泥水がに見えてくるんですよね。

いまゴシックとかバタイユ関係の本読んじゃってるせいなんでしょうけど、

「供与の犠牲」ってゆーんですか、「左極の聖性」ってか……

彼女自身そのパフォーマンスを「儀式」と表現しているんですが、

「ここにいることを確認するには、そこまでやらなきゃいけない/いけないのか?」

っていうことを、突きつけられた気になりましたね。

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「靉光展」




雨の竹橋、久しぶりに空いている美術館。

ていうか美術館自体久しぶり。



靉光は、1946年に38歳の若さで戦病死した画家。

実は知らない画家だったのだけれど、ポスターの絵の妙な薄暗さと、同時開催の「リアルのためのフィクション」展に惹かれ、参拝。



やはり東京国立近代美術館にはハズレがないなぁ、と再認識。

わかりやすく「魅力的」ではないんだけれど、混沌とか苦悩とか、暗さとちょっとのユーモア

いろんな画風を試した(試している最中に死んでしまった)人だから、

「ぜんぶお気に入り!」

ってことはないだろうけれど、たぶん誰にでも1〜2枚は「クる」と思う。



私が「キた」のは1940年の『花園』と1941年の『百合』。

前者は『花園』と銘打ちながら、赤褐色のウネウネしたものが蝶を呑み込まんとしている、さながら地獄絵図

対して後者は、日本画の技法を継承しているんだけれど、花と茎との結節点までしか色を塗っていない。

その塗り残し方が、妙に色っぽい。



キホンどろどろした画風の人だったのに、徴兵直前の最晩年は、色も筆遣いもさらさらしていたのに、しんみりしてしまった。





西端100年 靉光展 Webページ

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「日本の表現力」展


すべりこみセーフ!

「日本の表現力」展@国立新美術館。



文化庁ページ

国立新美術館ページ



前半「日本のメディア芸術」

マンガやアニメ、ゲームなどの

資料展示が中心。



会場中でいろんな映像を流してるから、

慣れるまでうるさいです。



1950年代から10年きざみで

展示しているので、

自分が育った年代のブースでは、

私も他の方もテンション上がってました。



ただそれゆえ

「懐かしい〜!」

で終わってしまいかねない。




「ニンテンドーDSは身体性回帰」

みたいな説明が付いてたけど、

そのテの解説が小うるさいくらいに付いてた方が

展示意図が明確だった、かしら。

(まぁいいんだけど、楽しけりゃ……)



あと示唆的ってか衝撃的だったのが、

自分が毎日接している(接していた)事物が

「美術館に展示される(されうる)」というのを

見せ付けられたことね。





後半「未来への可能性」は、

最新技術を駆使した現代アートに

さわって・あそべます。

単純に楽すぃ。

でもこれも、それで終わってしまいかねない……。



マ、とりあえず話題の「新美術館」巡礼を

済ませられたので、よしとしよ。

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Art@Agnes


Art@Agnes2007という催しがあったのですよ。

神楽坂の「アグネス ホテル アンド アパートメンツ東京」で。



いろんなギャラリーがホテルの客室を展示場に使って、

抱えているアーティストの作品を展示するというもの。



シュウゴアーツが森村泰昌の作品を出すってンで行ったんですけど、

ほかにも面白い作品に出会えてhappy。



あと、コレクターふうの方とかバイヤーみたいな方が多くて、

ちょっと「ギョーカイ」をのぞいた気分になりました。



ただ人が多すぎたうえに

いかんせん「展示」を目的としたつくりになってないから、

すっごい混雑してましたけどね。

バスルームのガラス張りとかバスタブを

上手く使って展示してるところはあったけど……。

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スーパーエッシャー展


理系アートの至高。





そういやいってきましたよ、「スーパーエッシャー展」

Bunkamuraにて。



4日の15時にいったら「チケット売り場まで60分待ち」

し……死ねよ……

しょーがないから同伴者と渋谷の街をぶらぶらして、18時ごろ

「リトライしとく?」

と行ってみたら「ただいまの待ち時間 0分」

(・∀・)!



しかし中に入れば人・人・人……。

初期の(だまし絵ですらない)フツーの版画にすら人だかり。

ワタクシ実は、ビアズリーとかエッシャーみたいな

「印刷芸術」(ってカテゴライズしていいかな?)

画集で観たほうが満足度高いの人なので、

これにはいささかびつくり。

まぁやっぱ、実物の細密さには感銘を受けるけれども。。。



この展示で必見なのはやっぱ! 動くCGでしょう!

だまし絵が動く! 無限につながる!! 無限に広がる!!

脳内に無限の世界を生ぜしめながら、

有限の紙の面積しか与えられていなかったエッシャー。

50年かかりましたが、2次元は無限を手に入れましたよ、と伝えてあげたい。



それから、こっちはほとんど気に留めてる人がいなかったけど、

楽曲の旋律をうずまき上にプロットする楽譜に感動した。

うずの1周が1オクターブ、内側ほど高い音、外側ほど低い音。

もっとスゴいのが、それが実際のメロディに合わせたアニメーションになってるぅ!

曲はバッハの『イノベンション第1番』で、このチョイスがまた秀逸。

なぜかって、この曲は同一主題をくりかえした規則的なもの。

旋律と描画、ふたつの規則性にしたがって動く色のうずまきは見事。



それを観ながら思ったのは、

バッハとエッシャーってやったことが似てる……

ということ。

どっちも厳格な理論に則った「規則性の世界」を描き、規則性の美しさを示した。

けれど、どちらもどこかでその規則性をハズし、有機的な美しさも持たせている。

だからエッシャーは「数学者」でなくて「芸術家」として歴史に名を連ねている。



そしてバッハにもエッシャーにも感じるのが、無限を見た人間の感動

天の高みに上るバッハのオルガン曲と、

どこまでも続いていくエッシャーの正則分割。

私の中では同じかもしれない。



数学者や地質学者ともかかわりがあったというエッシャーは、

西洋美術史に「数字の美しさ」を持ち込んだ

勲功のハッカーだったかもしれない。



ガウディもモザイクで無限の小宇宙を表現したり

サグラダ・ファミリアの形状を物理学的に決めてたり、

理系的要素って「美」と親しい隣人なんですよね。



『たけしの誰でもピカソ』で5日、

「数学でキレイになる!」って企画をやってて感動したので、エントリ書くことにしました。

「でんぐりでんぐり」はカワイイよね。

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