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紫式子日記

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渋谷サブカルツアー(1):magical art life ─あるコレクターの世界─


あーもう、ちゃんとやるとか言っといて実際行ってから10日も経ってしまった。

Blogってのは日付がいじれるからちゃんと行った日にしてあるけれど、書いてるのは29日(!)です。

ハイテクって怖い。



さて、18日のことです。

Parsley姫の「文化人復帰リハビリproject」(笑)にご一緒させていただけることになり、2人でるんるん渋谷のサブカルスポットを歩き回ってきました。





まず目指したのはmagical art life ─あるコレクターの世界─(@トーキョーワンダーサイト・渋谷

「あるコレクター」とは、岡田聡さんという精神科医の方のこと。

「脱魔術化して行く世界に対するささやかな抵抗として数年前より『魔術的芸術展』と称して毎年企画展を開催」しているそうな。



コレクションはアーティストの有名/無名を問わず多岐に渡っていて(森村泰昌作品が2つもありましたよ! Happy!)、どれも内面的とゆーか精神世界的とゆーか、あぁこれが魔術的ってことなのねと思わされる、ツワモノ揃い。

グロかったり、イッちゃってたり、します。

シュールっていうのともちょっと違うけど、「見たことのない世界」

でも、「感じている世界」

オマケに絵の横にアーティスト・題名などの表示がなく、鑑賞者/鑑賞物という距離が置きにくい。

自分が自分の内面を訪問しているようで、気味悪いやら居心地いいやら。

気色悪いと思っている絵の前からミョーに離れられないってことは往々にしてあるけれど、会場全体がそういう空気を醸しだしてる。



相っ当時間があるときに、軽く一杯引っかけてぼーっと突っ立って観たら、もっと楽しいかもしんまい。



これが無料かつ公的機関でやってるんだから、渋谷区ってところはワンダーです。

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ラウル・デュフィ展




《旗で飾った船(レガッタの祝祭)》1946年 油彩・カンヴァス

©ADAGP,Paris&SPDA,Tokyo,2006




大丸ミュージアム・東京ニテ。

Cow Paradeを追いかけて東京駅に出たら、やっているのに気づいたので寄った。



改めて思ったんだけど、この人の絵や線ってホント、せせこましいところがないんだなー。

画像の『旗で飾った船』の右から2番目の船、この帆を表現する曲線に、デュフィの作風が凝縮されてると思う。

解説文にジョワ・ド・ヴィーブル「生の喜び」ってことばが紹介されていて、あぁなるほど、それなのか……とミョーに感じ入った。



所詮大丸ミュージアムなので、ラインナップはそんなに華やかじゃなかったですけどね。

絵画は全体の1/4〜1/3くらいで、ほとんどはテキスタイル・デザインの仕事が紹介されているんです。

しかしテキスタイルでもデュフィはデュフィをきちんとやっているので、見ごたえはあるっちゃある。



以下、気に入った作品メモ。


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「ばらばらになった身体」展




アルフレッド・スティーグリッツ《ジョージア・オキーフ:ある肖像―手と指貫》1919年

© The National Museum of Modern Art, Tokyo, 2006


「モダン・パラダイス」展と同時開催で、本館2F・ギャラリー4で行なわれていた小展示。

頭部、手、トルソなど、全身ではなく身体の一部にスポットを当てた作品を集めてあります。

「部分」を通して感じる深い愛着ですとか、あるいはかき立てられる「見えない部分」への想像力、そして現代の病理としての「解体される感覚」なんかを扱っています。

作品数は少ないですし、セレクトにややこじつけを感じた部分もありますが、私としてはけっこう好きだったのでメモ。





なんたって、『ジョージア・オキーフ:ある肖像』シリーズが3点も飾られておりますの!

「モダン・パラダイス」展の方には1点、胸像(小さいのにやたら迫力あるやつ)が展示されているのですけれどね。

こちらでは

 ・ 目をつぶって頭を腕で覆ったオキーフ

 ・ オキーフの裸の胸元と手

 ・ 手と指貫(画像)


があります。



オキーフの肌は、「荒野の画家」というイメージに反して、意外とつるすべ。

そして身体の輪郭線が、心地よく緊張した感じ。

たるんでないんですよ。かといってガリガリもしていない。

本当に美しく、ぴんと張った印象。

これがあの作品を生み出した手か、と思うと妙に納得できる。



スティーグリッツがその緊張をそのまま写し取ったのか、あるいは強調して撮ったのか知ることはできませんが、相当オキーフを大切にし、尊重していたんだろうなとも思わされる。

と思ったらこの2人、恋人同士だったんだね。

パンフレットの解説がちょっといい。

「これらの写真には、スティーグリッツのオキーフへの愛着と、単なる美しい被写体となることに逆らって表現者としての自分を押し出そうとするオキーフとのあいだの、争いのあとすら感じ取れるようです。」

しかも「スティーグリッツの死後オキーフ自身によって当館に寄贈された」って、えぇぇまじでぇぇ。





この他には「頭部」のコーナーにあった『サロメ』が気に入った。





陽咸二《サロメ》1928年


生首持ってるってだけで「頭部」に置くのはどうかと思うけど……。

しかしなまめかしいのです。色っぽいのです。イイのです。

特にくびれ〜おへそのあたり。撫でさすりたくなります。

ブロンズのつやがまた、イヤラシイのだな。





「モダン・パラダイス」を観れば無料入場できますから、一緒にどうぞ〜

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cow parade TOKYO IN MARUNOUCHI 2006(2)


今日も今日とて、竹橋から大手町まで(東西線1駅分だね)歩いて、牛どもをとっちめてきました。

これをやるために東京国立近代行ったんだよな、実は……。



本日18頭。

土曜日の昼ということもあり、同じことやってる人たちをいっぱい見かけました!

残り21頭!

あと1日がんばればフルコンプじゃん。うゎお。




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モダン・パラダイス展




ポール・ゴーギャン《かぐわしき大地》1892年 大原美術館蔵


美術館ウォーカー復帰第2弾は、東京国立近代美術館の「モダン・パラダイス展」

題名イケてないし、ポスター絵ゴーギャン(あんま好きくない)だしでそんなに期待してなかったのですが、

さ す が M O M A T 。

今回もソツなく! 楽しませていただきました。



大原美術館との共同企画だそうな。

近代アートのダイジェスト総決算という感じ。

「浅く広く」感は否めませんが、作品レベルの高さで軽く相殺。

明るいのも暗いのも、軽いのも重いのも、オナニー気味なのもヤリまくり気味なのも(・・・)、どれもひっくるめてモダンアート、いいなぁ!と思わせてくれます。

なるほど、それで「モダン・パラダイス」か。





以下、お気に入り作品メモ。



1章 光あれ

近代アートにおける“光”の描写を追ったセクション。

印象派だけでなく、写真表現の広がりも扱われている。




◎ジョヴァンニ・セガンティーニ『アルプスの真昼』

有名な絵だけれど、実物のほうが良かった!

細い線が集まっているような描き方をしていて、本当に光がキラキラして見える。

高原の日差しとのどかさが、ちゃんと感じられた。



◎山中信夫『太陽』シリーズ

『東京の太陽』『マンハッタンの太陽』などと題して、黒い中に太陽のような光のかたまりがあり、その中に各都市の風景が見える……という写真を焼いている。

黒い部分の面積が多い分、却って「太陽」の部分をまぶしく感じた。

風景写真も淡くて、いいふんいき。



◎アルベール・マルケ『マルセイユの港』

朝日に輝くマルセイユ港かな?

いいミドリ使ってます。

ペールグリーンクリーム色のグラデーションがたまらない。大好き。

「ザ・優しい光」といった感じ。





2章 まさぐる手・もだえる空間

「視覚より触覚に訴える芸術」と銘打ち、つまりは「見たまんま」でなく「感じるさま」を描いた作品群。

印象派の理論の応用版なんだろうね、こういう発想は。




◎瀧口修造のデカルコマニー作品

「デカルコマニー」というのは、絵の具を無作為に紙に付け、たらしたり他の紙で押し広げたりする技法のこと。

これがまたキッモい、毛細血管みたいな線が出るんですけれども、瀧口修造はそのキモさを最大限に活かしていたね!!(゜д゜)

キモいのに見入っちゃうんだ、しかも。

神は細部に宿るとも、悪魔は細部に宿るともいうらしいけど……。

無作為に・作られた・細部。うーん、尋常じゃない空気をまとっていたぞ、と。。。



◎金村修『BLACK PARACHUTE EARS』

都市風景がすっごく汚い感じに写されてる。

が濃くなるように焼いてあるんだな。

でもこの雰囲気はどこかで感じた、そうだ夕闇押し寄せる代々木だ、なーんてことを考えてた。

カメラを通しているはずなのに、実際の風景よりも脳内の情景に近い。

こーいう写真見ると「写真、いいなぁ」なんて思っちゃうよね。



◎ジャクスン・ポロック『カット・アウト』

初ポロックかも!?

案外小さいのね。

絵の具の汚さとか切り口とか、実物はやっぱり生々しい。

しかもその絵の具がくすんでいて、まるでポロックの「アクション」の死体みたいだった。





3章 心のかたち

抽象画だけでなく、「雰囲気描写」に重点が置かれた肖像画なども。

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