2007/07/24 Category : Art 「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」展 ★東京国立近代美術館/展覧会情報「Pen」に国立近代でやってるよーというのが書いてあって、慌てて馳せ参じた。Pen (ペン) 2007年 7/1号 [雑誌]「マグナム」展のことも以前取り上げたけれど、今回のはブレッソン単独です。さすが、作品数がハンパない。見所は本舗初公開のヴィンテージ・プリントかもしれません。ブレッソン自ら現像したプリントがほとんど。だから、彼自身の解釈をもっとも的確に反映したプリントといえましょう。それは、グレーがかっていて、どこかぼんやりと溶けそうに、優しい印象のものでした。展示構成は、撮影現場となった国々別。これはフォト・ジャーナリストとしての彼の生き方を重視しての構成といえます。見比べて思うのが、どれも確かに「ブレッソンらしい」のですが、それと同じくらい「その国らしい」。これはひとえに、ブレッソンがそこに暮らす「人々」を大切に観ていたからではないかと思います。写されている景色や人々は、どこかコミカルで、少し物悲しい。特にアメリカの写真には、ロックウェルのイラストと似た部分を感じました。とはいえこの構成はあまり後味が残らず、国立近代美術館の展示にしてはやや物足りない印象も受けました。どうやら世界各地を巡業している展示で、国立近代オリジナルの構成ではなかったようです。 印象的だったのは、展示会場に散らされた名言の数々。「造形芸術にとっての幾何学は、 作家にとっての文法である。」(アポリネール)この言葉は「モダニズムの美学」を的確に言いえていると思います。「モダニズムの美学」については「MONET」展のエントリで触れました。「あらゆる人間の冒険は、どんなに孤立して見えても、人類全体を巻き込んでいる。」(サルトル)ジャーナリストとしての生き方にまつわる言葉でしょうか。「抽象的に人間を語り、その人の人生の現実的な条件をないがしろにするような人間の神話を、私たちはすべて拒絶する。」(ポール・ニザン)ここまで強い口調ではないにしても、こういった側面が、ブレッソンの写真にはあるように思えます。「沈黙によってしか語り得ないすべて。」(ルイ=ルネ・デ・フォレ)ブレッソンの写真にしばしば見られる静けさは、つまり、こういうことかもしれません。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword