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紫式子日記

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「山本六三展 -聖なるエロス-」図録



「山本六三展 -聖なるエロス-」という、何ともそそる企画が
Bunkamuraで行なわれていまして、えぇもう終わってしまいましたし、
私は観ることはできなかったのですけれど……。

けれど! けれど!! その図録が!! Webで手に入ります、ありがとうBunkamura!!
Bunkamura オンライン市場「山本六三展-聖なるエロス-」販売ページ



カラー作品だと気付かなかったんだけど、銅版画を見て
「あぁ、澁澤が好きだったあの画家か!!」
と納得。

驚いた、日本人だと思ってなかった、フランス人か何かだと思ってた……。
たぶんピエール・モリニエとごっちゃになってたんだと思う……。
失礼ながら名前の読み方も知らなかったしね。(むつみ って読むんだよ)

澁澤龍彦絡みの資料だと2~3点しか見れませんが、
この図録買えばごっそり1冊まるごと山本六三なので、じっくり堪能できます。



いいよねぇ、華奢な体型に硬そうな肉質、東洋人の感性にグッとくる中性性表現だよね。
クラーナハ(クラナッハ)の描く思春期の少女みたいな裸婦もいいけれど、
あのムッチリ張った肉の感じはやっぱアングロサクソンの女子の描写だよね。なんて思う。

病的な身体表現に、人物たちの妖艶な視線、神経質的に細い線から生まれる薄暗さ。
そこに描かれる扇情的なポーズの少女たち、濡れ場。これはいい暗エロ!

ビアズリーみたいな「オフザケ」も無くて(笑)、ひたすら耽美、ひたすら耽溺。
2001年に61歳で逝去かー、渋澤先生、あんまり沢山連れていかないでください……。

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「アヴァンギャルド・チャイナ―〈中国当代美術〉二十年―」展@愛知県美術館



これも「だまし絵」と同じ日に観に行ったんだけど、
「どうしよう……スゲー感想書きにくいぞ……」
と思って流しに流して結局2週間経って今日になった、
っていうそういう経緯があるんだけれど。

「だまし絵」と全然違って、こっちはすごーく観る人を選ぶ展示。
客足も、「だまし絵」が激混みだったのに対してこっちはガラガラでした。
ゆっくり観れたよ

どう人を選ぶかって、まず「グロテスク」。
内臓とか血液がどうとかじゃなくて(イヤ血液が出てくる映像作品もあるんだけど)、
「奇怪」っていう意味での「グロテスク」ね。

そして「現代美術の見方」といいますか、時代的背景ですとか
作品を通して既存の価値観が批判されている、そういうことを
踏まえて観ないと、たぶんあんまり楽しめない。

いえ、私はけっこう楽しみましたけどね……。

あ、あと中国って伝統的に原色・ド派手・ダイナミックな文化があるけど、
それを受け継いでるなって感じは、確かにある。インパクト強烈。



これは展示のキャプションで知ったんだけれど、中国現代美術の面白いところは、
文革終わって鎖国状態を解いたとき、ダダとかシュールとか、
ヨーロッパでは時系列で段階的に発生してきた美術のジャンルが、一度に流入したこと。
そのため「表現の自由さ」を求めたアーティストたちには、選択肢が沢山あったこと。

それゆえ系統立っていない、いびつなカオス状態が生まれていて、
それが一種の「気持ち悪さ」も感じさせるし、「面白さ」でもある。

なんたって中国は「日本が40年かけて遂げた発展を20年で遂げようとしている」
なんて言われる国で、そこに生きる人々の心情が「激動」じゃない訳ないし、
それはそのままその土地で生まれる作品にも言えることなのだ。と思う。



いろいろな作家がいろいろな作品を展示していたのだけれど、
強烈に印象に残ってるのが馬六明(マ・リウミン)のパフォーマンス映像なのだよなー。
男性なんですけれど、きれいなんですよー顔が。中性的というより無性的で。
んで、身体がすっごく華奢。痩せぎすの女子中学生みたいにも見える。

その顔と身体で、髪伸ばしてて、化粧してるから、顔のアップだけ見ると
「あれ? 男? 女?」
ってわからないのですよね、もちろんそれが馬のねらいなのですけれど。

今更ジェンダーかよ、とかそういう声が聞こえる気がしないでもないですが、
ジェンダーって別に性別に留まった話じゃないんですよね、
「私たちが当然視している規範・価値観」みたいなものを揺るがして見せることで
ふだん気にしてないのを気付かせるってのがこのテの作品の狙いだったりして、
で、「当然視してる規範・価値観」の中でいちばんわかりやすいのは性別かな、っていう。

特に男性でこういうトランスジェンダーなパフォーマンスをやってる人は
「性別」というより「価値観」全般に挑戦している気がする、
森村泰昌は自他の区別を揺るがすなどしていたしなぁ。

この馬六明という人は魚を生きたまま煮始めたり、
まだ生きてる魚たちを天井から吊るして、魚たちが死んでいく中で
シャワーを浴びてみたり(そしてタイトルは『FISH CHILD』)、
「いのち」とか「人の業」みたいなものも作品に取り込んでいて、
久しぶりに面白い人を知ってしまったなぁ、みたいなそんな感じでした。



あと東京ではどんな風に展示されていたか知らないですけど、
老人の蝋人形を電動車椅子に乗せて不規則に動かしてる『老人ホーム』って作品、
愛知県美術館で観るとびっくりしますよ。いきなり展示室手前にどかーん、てあるから。
私最初、ほんとに幼児用プレイスペースの老人版だと思ったもん(笑)。

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「視覚の魔術 - だまし絵」展@名古屋市美術館



6月から★Bunkamuraでもやりますが、
私が行ってきたのは★名古屋市美術館の方。

もっと詳しい★オフィシャルWeb(?) 中日新聞社によるページ。

しかも行ったの先々週の日曜で、開始2日目だったからか鬼のように混んでいた……。
そろそろ落ち着いた頃ですかしらね。



いい展示でした。
「時代」「国」「画家」で絞った企画って事前知識が要りますけれど、
こういう「テーマ展」ていうの? ってそういうのナシで楽しめるじゃないですか。

今回も美術展とかあんまり行かなーい、って友達と行ってきたんですけど、
彼女も楽しんでくれたみたいです。そういうタイプの展示です。



アルチンボルドがでかでかとポスターやらチケットに使われていますが、
来ているのは『春』『水』の2点。
16世紀の絵なのに鮮やかだなぁ、とかヘンな感想……。

17世紀の「トロンプルイユ(仏語でずばり"だまし絵")」が多く来ていたのですが、
ほとんどが絵の中に額縁やキャンバスを描き「画中画」にしているというもので
どれも似ていて、正直「こんなにたくさんいいよwww」って感じでした;

でも
「人はいつの時代も、こーいう『おもろい』ものを求めてきたんだなぁ……」
と思うとなんだかじーんと来た。
むつかしいことを言うと、市民社会で商業主義で、現実味のあるものが
求められてたんでしょうね、宗教画とか神話画とかではなく。

あと日本の、江戸時代のだまし絵は面白かったですよ。
「へー、こんなのあったんだー」
って感じで。
何気ない仕草をしている人の絵でも、シルエットで見てみると
鶴や松の形になっていたりする広重の絵とか。



20世紀美術がたくさん来てたのも嬉しかった!
マグリット! ダリ! エッシャーはエッシャー展でいっぱい観たからいいけど!!
デュシャンやマン・レイにまで会えたのは嬉しいサプライズ。

あと福田美蘭はやっぱり面白いですね。
文字通り美術史を「ナナメに」見てますね。
森村泰昌と福田美蘭、2人は反抗的な「美術史の娘」だよなと思う




【開催期間】2009年4月11日(土)~6月7日(日)
【開館時間】午前9時30分~午後5時 金曜日は午後8時まで(入場は閉館の30分前まで)
【休館日】毎週月曜日 ただし5月4日(月・祝)は開館し、5月7日(木)は休館
【観覧料】一般  当日:1,300円 ・ 前売、団体:1,100円
     高大生 当日:900円 ・ 前売、団体:700円
     小中生 当日:500円 ・ 前売、団体:300円

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「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」展@渋谷Bunkamura

特集Webページ

実はあんまり乗り気じゃなくて、ル・シネマでやってる
『ダウト』を友人に勧められたからついでにザ・ミュージアムも
見とくか……みたいな感じで見に来ただけ(笑)。しかも最終日……。

しかし来て良かった!
ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館
っていうところが改修工事のため休館⇒作品を借りてこれたみたいで、
本当に所謂「20世紀美術」の花形が揃ってるんですよね。

表現主義(マティス・シャガール)、キュビズム(ピカソ・ブラック)、
シュルレアリスム(マグリット・エルンスト・タンギー)、
そしてカンディンスキーとクレー。



印象に残った作品のメモ。

【表現主義的傾向の展開】
○ ジョージ・グロス『恋わずらい』
 この人は知らなかったんですが、灰色っぽい独特な色合いの人物が目を引きました。
 戦時中のカフェで恋に思い悩む画家自身が描かれていて、
 「戦時中でも人は恋をするんだ!!」みたいな体制への批判にもなっているそうです。
 そういう、批判的・風刺的な作品が多い人らしいです。

○ マックス・ベックマン『夜』
 第一次大戦後の、貧困と混乱に陥ったドイツを象徴的に描いた作品。
 教科書で読んだことはありますが、絵画で「見る」のは初めてだったのでぎょっとしました。
 エルンストの『聖アントニウスの誘惑』に似てる気がした。不吉な有機的群像。

○ マルク・シャガール『バイオリン弾き』『祝祭日』
 シャガールの作品の中でも、特にユダヤ文化色が強い2作品。
 ユダヤ人の生活に音楽は欠かせず、特にバイオリンは欠かせない……というキャプション。
 そうなのかー、ふーん。と。
 『祝祭日』は白を基調とした、ちょっと東洋的な雰囲気も感じる作品。


【キュビズム的傾向の展開】
○ パブロ・ピカソ『二人の座る裸婦』
 デカッ!! ってかんじ。
 この人もひょっとして、巨女願望的傾向ある?

○ ジョルジュ・モランディ『静物』
 モランディは、油彩の勉強をするにあたって模写したんですよ、中学のとき。
 すごく好き。静謐な感じ、落ち着いているところがすごく。
 静物画なのに、静かすぎてちょっとシュルレアリアスムっぽいところも。


【シュルレアリスム的傾向の作品】
○ ルネ・マグリット『とてつもない日々』
 裸の女性が男性に襲われている「とてつもない」状況の絵なんだけど、
 その様子は女性の身体のラインに沿って切り抜かれて描かれていて、
 一見すると怯えている女性しかいないように見える絵。
 「女の被害妄想」だってことを言いたかったのかなー、となんとなく。

○ ルネ・マグリット『出会い』
 この作品に付いていたキャプションが秀逸だったので、引用。
 「この画家にとって絵画とは、多分に記号的な、約束事的なものなのである。」

○ ルネ・マグリット『庶民的なパノラマ』
 こちらは、マグリット自身の言葉。やはりこの人あたまいい。
 『画家は、その元になっているあなた方が賞賛しえない類のものに
  似せたものによって、あなた方の賞賛を獲得する』

○ マックス・エルンスト『揺らぐ女』
 エルンストは技法によってえらい雰囲気が違うので、好きなのと嫌いなのとが
 私の中でもあるのだけれど、これは好きな方のエルンスト。色合いがきれいですよね。
 女性が女性器みたいな形の機械に振り回されているところも、なんか好き。

○ リヒャルト・エルツェ『日々の苦悩』
 この人も初めて知った人。
 デカルコマニーを使っていて、エルンストぽいんですが、
 エルンストのデカルコマニーより色がパステルカラー寄りできれい。

○ マックス・エルンスト『我々の後の母性』
 タイトルが好き。

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「エコール・ド・シモン人形展」@紀伊国屋画廊

エコール・ド・シモン Webサイト

私の中では四谷シモンて、澁澤龍彦たちに代表される
「日本がリアルに耽美サブカルだった時代」の
生存者のひとり……て感じなんだけど。
案外皆まだ生きてるんだけどね。金子國義とか、細江英公とかね。



四谷シモンが主催する人形制作学校「エコール・ド・シモン」の
生徒さんたちの作品展。紀伊国屋書店新宿本店4Fにて、3/24まで(!)

耽美耽美した、ゴスだったりロリだったりする人形ばかりかと思っていたんですが、
民芸品ぽい意匠のもあって、かなり幅広く、生徒の志向を尊重して
やっているのだな~ ということを知ることができました。
そもそもそこからかよ、ってかんじですが。



気になった生徒さんたちのサイト。

★佐藤珠子さん「colors and the girls」
 意志の強そうな顔の少女たち。

★中嶋清八さん「中嶋清八ブログ」
 現代版能面?

★青野明彦さん「AUX STRAPONTINS ATELIER」
 所謂「球体関節人形を使った作品」のイメージ。



しかし、やっぱり四谷シモンさんの人形は可愛いんですね。可愛い。
なんだかしみじみ思って、見つめてきてしまいました。

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