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紫式子日記

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絵画と写真の関わり合いについて自分なりにまとめてみた。



細野晴臣氏の
「人間が正確なリズムを刻みつづけられる
って思うのはロマンだからね」
発言に触発され、
「人間が正確な写実を描ける
って思うのはロマンなんじゃね?」
という仮説を立ててみた。

音楽(リズム隊)だとコンピューター制御による
均一均等なリズムが自由な音楽の追求を許しましたが、
絵画にも写真が登場してくれたことによって
自由な表現を追求できる時代が
訪れたのではないだろうかと。



って話をするとやっぱり

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「ジャンルー・シーフ写真展」@東京都写真美術館

森村泰昌展に続いて、こちらも。

『All Tomorrow's Girl』のfumi_oさんが
ファンだと伺い、それならばと行ってみた。

素晴らしかった! です。

構図が厳密かつ優雅で、ひたすら美しい。
モノクロームとあいまって、ひとつひとつが静謐。
なんかもう、全部お手本にしたい感じ!
私別に写真やってないけど!笑

イヴサンローランがあぐらかいてる写真は
聞きしに勝る素晴らしさでしたね。
あと彼氏の人はジェーン・バーキンの
髪が乱れたアップの写真の前で
ずっと立ち止まってた。

セルフポートレートも洒脱な感じだし、
本人もいい男なんですね。

ファンが多いのもうなずけます。
ていうかなったわ、ファンに。

写真集、買いました。



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「森村泰昌 なにものかへのレクイエムー戦場の頂上の 芸術」@東京都写真美術館

『LIFE』誌をパロディしたような広告画像が
「写真の世紀」20世紀がモチーフであることを
アピールしていて可愛らしいですね。

メインは映像作品「旗を立てる」だったんだろうけど、
個人的にはデュシャンに扮してチェスを打つ、
『チェスを打つ裸体』を素にした
作品でうるうる来てしまった。

「森村さん、デュシャンと
出会えて良かったね」というような。

森村さんがデュシャンに「なった」のは
今回が初めてではなくて、
かなり初期だったと思うけど
『だぶらかし(マルセル)』というタイトルで
デュシャンの女装姿「ローズ・セラヴィ」があって。

それが今回の新作の左奥に飾ってあったんですね。
そして手前には、老いたデュシャンを演じる森村さん。
私にはそれが、若き日の森村さんが
「芸術においてのお祖母さん」であるデュシャンに
「孫」として認められて作品を展示することを許され、
邂逅を果たしたように見えました。

『だぶらかし』の頃は、デュシャンを理解しようと学んでいて、
だけどまだ「辿り着いて」いなかったように今は思えます。

森村さん自身も歳を重ね、
老いたデュシャンを自然に演じられるようになった今、
森村さんは理論や言葉でなく在り様として
デュシャンに「なれた」ような気がします。

あと、作品の中でデュシャンとチェスを打つ裸婦、
これも森村さんが演じてる訳ですが、
「ローズ・セラヴィ」でもあるのだとか。
とすると、「女優」時代の森村さんが
晩年のデュシャンと対局しているとも取れますね。

作品の素になった写真が撮られた
『チェスを打つ裸体』パフォーマンス時は
デュシャンの勝ち、「裸体」のモデルの負けだったそうですが
今回「デュシャン」と「ローズ・セラヴィ」が打っているのは勝負がつかない
オノ・ヨーコの『ホワイト・チェス』。

「美術史の娘」として、美術史に戦いを挑むのではない、
愛してもらうのだという初期シリーズの
密やかな続編のように思えました。



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清水真理・人形展「片足のマリア〜Strange Angels Garden〜」@parabolica-bis



自分も異変なんだと思います。……(中略)……
わたしはやっぱり作家仲間が多いから、話してて思うんですよね、
「わたしもあなたもナチス・ドイツの時代に生まれてたら
 ガス室で死んでたかもね」(笑)。
(『夜想#モンスター&フリークス』P52より抜粋、以下断り無ければ同出典)


フリークス(畸形)をテーマにした
清水真理さんの新作人形個展、行ってまいりました。
浅草橋★「パラボリカ・ビス」にて。



清水さんの作られたお人形はとても多いので、
一概には言えないのですが、私の中ではなんとなく
「捉えどころのない表情」
「虚空を見つめるような表情」
のお人形が多い印象なのですよね、たぶん
『アリスが落ちた穴の中』で使われていた
アリス人形のイメージが強いのですが。

と、そんな思い込み?を抱いていたところに
今回の作品を見て真っ先に思ったことは、
「かわいい……!!!」



表情がどことなくあどけなくないですか?
脚の数が4本だったり、膝の関節が後ろ前逆に付いていたり、
ふたごの身体がくっついていたりと、
グロテスク(grotesque、異形)ではありますが。



やさしさ。愛情。

清水さんは、雑誌『夜想』のモンスター&フリークス特集号で
インタビューに対し、フリークスへの親近感を語っています。
ナチスドイツで畸形の人々や精神薄弱と判断された人々が
大量殺戮されたことを受けている冒頭の引用は、以下のように続きます。

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束芋「断面の世代」展@横浜美術館

ごっぶさた~、の横浜美術館。

束芋。
彼女の作品だけの展示を観るのは初めて。
今まで気付かなかった特徴に気付く。

メタモルフォーゼへの固執。
アニメの人だから、にしても多すぎる。
吉田修一の『悪人』に寄せた一連の作品では、人間と無機物の融合・遷移が多く見られた。

描線の生々しい強弱。
これはマンガっぽい。
70年代という、戦後のサブカルチャーに完全に浸った世代として、そのような描画手法を取るのがしっくり来るのか? 関係ないかな

マンガっぽいつながりでもう一点、デッサンが狂っている作品がしばしば。
画力のある方なので、技能云々ではなく意図的なもののはず。
強く意識している箇所(例えば手指)を誇張することで狂う、あるいは注目させるために狂わせるのでは。

生理痛のようだな、となんとなく思った。
自分の中にある違和感、内臓の存在を殊更強く意識する。
だけれど皮膚はなおも存在するもどかしさ。



観覧後、カフェ小倉山でお茶。
草間弥生ソファを占領。
観ていると不安なのに、包まれると安心するふしぎ。

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