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紫式子日記

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『リトル・ミス・サンシャイン』


リトル・ミス・サンシャイン
リトル・ミス・サンシャイン


かわいい映画、でした。



とひとことでまとめるには重いんだけど、

敢えて「食後」の気分を述べれば。





必死で幸せになりたい、

けどナゼか事態が悪転していく一家の珍道中。



「ナゼか」と書いたけど、

まーたぶん「理想」とか「見栄」とか「外聞」とかに

こだわりすぎてる
からなんだな。

一家全員、自意識過剰なんかな。



でも自意識過剰って同属どうしがいちばん敏感で、

しかも同属嫌悪が激しくなりがちな属性で、

だからこの一家は同属嫌悪しあってるんだな。





旅の中で、一家全員鼻っ柱がヘシ折られて、

家族がだんだん素直になっていく。




その過程は見ててイタいし、

我が身と重なったら嫌悪感でしょうが、

恥も何もかも投げ捨てたラスト・シーンには

胸が「じん」となります。





「名作」とまでは行きませんが、

「いい映画」だったと思います。

キャストも秀逸だよ。

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映画『ノートルダムのせむし男』『ノートルダム・ド・パリ』


ノートルダムのせむし男(1923)
ノートルダムのせむし男




ノートルダムの傴僂男(1956)
ノートルダムの傴僂男




えっとー、

原作はヴィクトル・ユゴーの

『ノートルダム・ド・パリ Notre Dame de Paris』

(ノートルダムのせむし男、ノートルダムの傴僂男、

 The Hunckback of Notre Dame)


なんですけど、

映画もいくつかバージョンあるんですね、これ。



私が見たのは1956年

出演: アンソニー・クイン

監督: ジャン・ドラノワ


のバージョンと、

1923年

出演: ロン・チャーニー

監督: ウォーレス・ワースリー


のバージョン。



前者は、Amazonだと

VHS『ノートルダムのせむし男』

DVD『ノートルダムの傴僂男』

になっていますが、私が見たのはLDで

タイトルは『ノートルダム・ド・パリ』でした。



「せむし」が差別表現だということで、

こういう複数訳のタイトルが出回る、

という状況になっているようです。

デズニー版も、他の国では

「The Hunckback of Notre Dame」

ですが、日本版だけ

「THE BELLS OF NOTRE DAME」

になってるってハナシ(Wikipediaより)。



1956年の方は、カラーだし、

セットとか衣装とか時代考証とか

かなーり気合が入ってる感じ。

実際制作費も莫大だったぽいです。

ただ原作に忠実たらんとしすぎて、

いまいち主題がピンボケの感。



1923年の方は、なんかSFXの走りらしい。

ロン・チャーニーの特殊メイクがそうなんですけど、

確かに右目に義眼とかくっつけて、

かなーりエグい顔に仕立ててます。

ところでSFX=スペシャル・エフェックスってこのまま読むのね。

何かの頭文字だと思ってた。




モノは白黒映画なんですけど、

その分BGMで登場人物の感情を表現したり、

キャプション(? 紙芝居みたいなやつ)で

ナレーションやセリフを表示していて、

映画黎明期の奥ゆかしさというか、

そういう雰囲気が文学的で、

かえって作品に合っていた気がします。

ストーリーは結構はしょってるんですが、

私としてはこっちの方がキました。



ただ、どっちも「ゴシックの荘厳さ」とか

「ゴシックの恐怖」みたいなのを

感じ取りにくかったので、

ちょっとこー期待ハズレだった、かなー。


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『ロスト・イン・トランスレーション』


ロスト・イン・トランスレーション
ロスト・イン・トランスレーション


う〜ん……

こういうの、嫌いじゃないんだけどねぇ。



アメリカ人の男女が、日本で出会う。

言葉が通じない悲しさ、

言葉が通じても心が通じない悲しさを

共に感じていた二人は、恋に落ちる。




でもなんか「二人の世界」に入り込みスギっていうか……

セリフにもあったけど「傲慢」なんだな。

「通じない」人たちへの歩み寄りが

いまひとつ足りなくて、

インテリ同士でくっついてる感じ。

というのは、私の自戒でもあるんだけど。



あと、新宿のパークハイアットに泊まってるって設定なのに、

明らかに靖国通りを逆方向に走っていたり、

エキストラの女性の着物が右前だったり、

あ、それから

「意味わかんない言語」

として聞こえなきゃいけない「ニホンゴ」が、

私たちはモロわかってしまうわけで、

あんま、日本で上映すること、考えてなかったのかな?

という印象。

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『ネバーランド』


ネバーランド
ネバーランド


おお、なんかひさしぶりに

「イイ映画」を観たぞ……っと。



『ピーターパン』が元は舞台だった

ってのは『七色いんこ』を読めばわかることで、



この映画は

「戯曲『ピーター・パン』ができるまで」

のエピソード。



フツーに、感動できます。泣きました。



珍しく「普通のカッコ」した

ジョニー・デップも新鮮です。



でもやっぱり子供たちと遊ぶときの、

インディアンの扮装のほうが

似合う、と思ってしまう。

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映画『トニー滝谷』


トニー滝谷 プレミアム・エディション
トニー滝谷 プレミアム・エディション






独身で年上の友達が、

以前の恋人と結婚を意識したことがあるよ

と言うのを聞いて妙に戸惑ったばかり。



なんだか

「誰かと一緒に生きる」

という感触がわからない。

まぁ、いざそういう暮らしを始めれば、

どうでも良くなるものなのだろうけど。

つか、予定ないしな。



トニー滝谷は、

ずっと一人で生きてきて、

それが「とても自然」だった男性。



だが彼は「とても自然に服をまとう」女性に恋し結婚、

「一人に戻るのを怖れる」までになる。

人生は無常、彼女は事故死し、

後には彼女が遺した大量の衣服が

あたかも彼女の影のように部屋を占拠し……

という、

   不所持→獲得→喪失

の物語。



キモは「彼が、服をどうするか」なんだけど、

その異常さは「やるせなさ」として、

かえって共感ポイントになると思う。

で、こういうの観ると、

「獲得すること」の恐怖みたいなのを

再認識して、冒頭の話に戻ると。

や、ないけどね、予定。





舞台のような作りの映画。

さいしょイッセー尾形が主演だからかと疑ったが、

原因はたぶんキホン真っ白な背景(壁)。



舞台装置って、

いちいち変えなくて済むように、

汎用性の高い、抽象的なものを

使ったりするじゃないですか。

あの感じなんですね。



「語り部」が語るべき台詞を、

「登場人物」が喋っちゃう手法
とか。

宮沢りえが一人二役をやってるところとか。



あとなんと言っても、

坂本龍一による音楽!

コレがスバラしかった。

サティのように陰鬱で不安定な旋律なのに、

サティの音楽に感じるような「苛立ち」を覚えない。

存在感があるのに、耳に付かない。

どれかってと、即興的なメロディ・リズムでしたよね。

それも「舞台っぽさ」の理由か。



こういった要素が相まって、

浮遊感のある、しかし感情はリアルに伝わる

不思議な雰囲気を生んでいます。

不思議で、しかし切々と哀しい。



原作を読んだのはだいぶ昔ですが、

(村上春樹『レキシントンの幽霊』)

たぶん、原作超えちゃってます。

『空中庭園』以来の原作超え。



あ、でも、村上春樹がハダに合わない人には、

映画でも無理です。

映画評サイトで星が少なめなのは、

たぶんそういう理由。

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