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紫式子日記

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『薔薇の名前』


薔薇の名前 特別版
薔薇の名前 特別版


おぉぉ、なんっかひっさしぶりに

「知的興奮」ってのを思い出しましたよ!!



最初に観たのが1年生の(4年前だよ!)「美学」の授業で、

確か「記号論」とか「美のコード(記号)」ってつながりで

2〜3回に分けて観たのですけれども、

やーっぱいろいろ忘れてますね。

『ゴシックとは何か』を読んだ後ってだけで、

だいーぶオモシロサが違います。



この本、気に入りすぎて再読してる最中です。

『薔薇の名前』もっかい観ようと思った

そもそもの動機だって、『ゴシックとは…』で

「ユニゾン(複数声部が同一旋律を演奏すること)が出てきて、

「『薔薇の名前』で修道士たちが歌ってたのがそーだよね」

って思い出して、聴きたくなっただけっていう。



物語自体は、中世14世紀、北イタリアにある修道院を舞台にした

連続殺人事件の謎を、ショーン・コネリー(カコイイ)演じる

ウィリアムと、その弟子アドソが解く……

という「歴史ミステリー」なのですが。



原作が原作、現代を代表する哲学者ウンベルト・エーコだけあって、

いろいろヤヤコシイ。と言うべきか、深読みできると言うべきか。



以下個人的なメモ程度に。



(1)「言葉」というもの

凡庸なことしか言えませんが。



原作は「エーコが手に入れた古典文書をイタリア語訳して出版する」という設定らしいし、

映画でも「アドソが記憶をたよりに記述している内容」っていう体裁をとっている。

つまり、どちらも「目の前で起きている出来事」じゃなくて

「"言葉"によって書かれた"記録"」っていうことが強調されてる。



エーコは記号論学者だし、

「言葉が世界を作り出す」

って立場に立ってるんだろうな。

実際、自身の創作に限定してだけれど、

そういう表現をしていました。



映画では(たぶんハナシがふくらみすぎるから)

結局カットされていたけれど

「枯れてもなお残るは薔薇の名前」

っていうセリフも、

「実体はなくなっても"言葉"は残る」

って読み方ができるんかな、と勝手に解釈。



(2)ゴシックの意匠

11〜12世紀、都市に流入した農村出身者を対象に、

権威の象徴として作られたゴージャスな建築、


ってのが典型的ゴシック大聖堂なんだけど、

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『ソドムの市』


パゾリーニ・コレクション ソドムの市 (オリジナル全長版)
パゾリーニ・コレクション ソドムの市 (オリジナル全長版)


『バーバレラ』のバカは

  (・д・)

ってなるしかないバカだったけど、

こっちのバカは思わず考えこんじゃうバカ。

正常な神経の登場人物もいるしね。



ファシズム政権下の北イタリア、

政府の高官たちが権力にものを言わせ

若く美しい少年少女たちを集め、

凌辱と残虐の限りを尽くす。




高官たちが交わす

「何事も極限に美が存在する」

って冒頭の会話は、同時に製作側の

「極限までヤりますよ」

っていう宣言にも聞こえる。



て、カクゴはしてたんだけど、

想像を絶してアレだった(-д-||)

無修正だし……。

30分前フリ、30分変態地獄、30分スカトロ地獄、30分拷問地獄

みたいなタイムテーブル。

スカトロが厳しかった……。



ナチ批判映画だったらしいが、

んで実際そーいう気持ちもあるんだろーが、

なんてーか、やりたかっただけじゃなかろうか……。

パゾリーニ監督自身、男好きで、この映画の完成直後

男の子にちょっかい出して返り討ちにあって、

はからずも「遺作」になっちゃったなんてエピソードまでついて……。




ただ、高官側でBGM係だったご婦人が身投げするのは全く予想外だった。

エンディング、高官づきの衛兵が楽しむのは拷問シーンでなく、

「恋人について会話しながらのダンス」ってのも、ショックだった。

散々悪徳をやらかしたこの映画の終わりが、こんな平和的なシーンなのか……と。



あとなんかアレだな。

特に根拠はないんだけど、

残虐行為を繰り返す高官たちは、

「自分たちが殺されたがってる」

ように見えたな。なんだか。

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『バーバレラ』


バーバレラ
バーバレラ


バカエロかわいい(・ω・)



例によって森村泰昌が「コスプレ」してたから、見てみたんだけどさ。

千野香織って人が、

「自分の意志もなく、

 ひたすら性的にいたぶられていた

 B級映画『バーバレラ』のジェーン・フォンダ」


って批評してたりしてね。



そこまで

「ヒドい!」

「フェミの敵だ!」


ってカンジはしなかったけど、

(フェミの敵であろうことはまつがいないが、)

セットはちゃちいし(宇宙船がTENGAに似てる)、

ハナシはパッパラパーだし、

カル〜く、ユル〜く、
深夜2時とかにTVでやってる

バカな映画をつい観ちゃう、あのカンジで観れる。



ま、確かにこーいう「映画的イメージ」を通して

「ブロンド女はアタマが軽い」

とかゆー言説の浸透が加速してったんだろーな。



バーバレラが「体でお礼」することに味をしめて、

「とりあえずヤっときゃ収まる」みたいな態度になるところとか、

「お前、それはオトコを増長させるだろ……」

とかツッコむ気力すら失せた。



でもこれは……アレですよね、

意図的に「B級」をやってるんですよね……?

え、私はもう少しくらい、人類を信じたいよ。

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『レニ』


レニ
レニ


レニ・リーフェンシュタールというドイツの映画監督……と言っていいのかちら……のドキュメンタリー。

この人、ナチの党大会やベルリン五輪のドキュメンタリー映画を撮ったので、戦後はさながら「戦犯」扱い、「恥ずべき歴史」の一部のように扱われている人なんですね。

そのため「誤解」「偏見」が今なお激しいのですが、真の彼女はどんな人物なのか? という視点から、最終的には

「彼女もまた、ナチの被害者だったのでは?」

というところに達します。



聖山 (トールケース)
聖山 (トールケース)


レニはもともとダンサーで、膝を痛めてからは映画女優に転身。

山岳映画が十八番で、『聖山』で見せた「たくましさ」と「清らかさ」を兼ね備えた姿が、ヒトラーの理想と重なったようです。



やがて自分自身もメガホンを執るようになった彼女に、党大会撮影のオファーが来ます。

芸術性・技術、共にハイレベルだった彼女の作品は他の撮影者とは一線を画していました。

それゆえ「民衆への影響力は多大だった」とされていますが、彼女自身は

「政治には疎かった」

「ナチ党員でもなかったし、反ユダヤでもなかった。」

もともと民族差別には反感を抱いていたようです。

「この意見には賛成」「反対」と書き込みをした『我が闘争』を、うっかりヒトラーに見られた、なんてエピソードも。



描かれるのは、あくまで「芸術家」「表現者」としてのレニの姿。

「依頼されたから撮っただけ」

と素っ気なく言いながらも、自分が撮った映像を見ると、

「このときはこんな効果を使ったのよ」

と目を輝かせる姿が、繰り返し捉えられます。

彼女は本当にナイーブに、自分が求めた芸術的理想を追求していっただけなのでは……。



「国民はあなたが謝罪するのを待っているのでは?」

という問には、泣きそうな表情で答えていました。

「どこに私の罪があるのですか?」



民族の祭典 (トールケース) 美の祭典 (トールケース)

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『ゆれる』


ゆれる
ゆれる


ぎょわーすさまじかったわー

『キューティーハニー』や『下妻物語』でアタマ甘やかしてた反動で。



嫉妬。

この重み。

嫉妬する重さ、される重さ。

相手が肉親であるがゆえに嫉妬は深くなるし、情とまざって純度を失うし、

「知ったこっちゃ」って言って済まないリアル。

法廷で語られることが認識されている「事実」とすら違いうるというリアル。

『それでもボクは』と並べて、法廷モノ2本立てってやると面白いかも。



あー西川美和うまかったなー。

色彩キレイねこのひと。

誰かに似てる……ヴェンダースか?

激昂するシーンほどBGM入れないのとか、好きです。

ラストは上手く逃げ切ったなと苦笑い、拍手。


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