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紫式子日記

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乗車有難


毎週火曜は中国語の日。

何度かこのblogでも触れた記憶がありますが。

ヌル〜い、ヌル〜い、テストも課題も無し、ただ出席して返事していれば良いだけのラクチンな授業でした。

が、思えば今年度いちばんタメになったのはこの授業だった気がします。

日系だけど中国育ち、名前は日本人だけれど喋る日本語は半分中国語。

そんな先生に日中文化の相違を学んできました。



今日聞いてきたのは、ちょっと怖い笑い話。

うちの大学に金先生(仮)という、やはり中国人の先生がいらっしゃるんです。

その先生が、来日してすぐ、電車に乗ろうとしたときの話。



駅のホームにはどこかしらに

「ご乗車有難うございます」という掲示がありますよね。

ところが金先生は平仮名をご存じなかった。

先生の目は自ずと、母語の文字である漢字のみをピックアップします。

するとどうなるか。

「乗車有難」

高校生気分で訓読してみましょう。

「乗車すること難有り」

これに足がすくんだ金先生、どうしたものかと手元の切符を見ると。

「前途無効」

乗車すると災難が有る上に、前途も無くなってしまうらしい。

もはや『世にもきみょぉな物語』の世界。

恐怖した金先生は、目の前に停車していた電車に乗ることができなかったそうです。……



いゃー、ことばって、たまにすごいことをやらかしてくれるんですね。

それではまた次回、さよなら、さよなら、さよなら。

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非婚時代


一気に、記事の毛色が変わりますが、こう見えても私、社会学専修生なんです。

うん、自分でも忘れ気味だけどねっ・笑




高校時代の話である。

国語科の美人フェミニスト寄り女性教師が、漢文の返読文字「未」が出てきたとき、

「『未婚』ってなんだか『この先結婚する』って決められてるみたいでヤなんだよねー」

と言っていた。

「未」は下に動詞を伴って、「未だ〜せず」と訓読する。

「まだ〜していない」という意味である。

つまり、将来的にはその行為をするということが前提になる表現なのだ。



あれから(たぶん)5年(くらい)。

『非婚家族』とかいうドラマも放映されて、「非婚」という言葉が随分世の中に流布した感がある。

10日発売の中央公論の表紙には、「非婚社会がやってくる」なんて文字まで躍っている。





COPYRIGHT(C)CHUOKORON-SHINSHA,INC.


いつの間に「未婚」に取って代ったのか、て言うか実際に取って代ってんのか? と思い、いっちょgoogle検索したときのヒット件数を比較してみた。



結果。(11月17日23:00時点、数値は概数)

未婚 1,780,000 件

非婚 1,720,000 件


「未婚」の方が、巷に登場した時期が早いからであろう、6万件の差をつけているが、「非婚」も思っていたほどの劣勢ではない。



これに「少子化」「高齢化」などのように「〜化」をつけると。

未婚化   872,000 件

非婚化 3,210,000 件


「非婚」が「未婚」の4倍にもなる。

確かに「未婚化」言説って聞かなかったもんな。

「未婚」って言葉が出てきた当時は、「〜化」って付けられるほどの時流になっていなかった。

それこそ「未婚」であり、いずれは「既婚」になるだろうと思われていた階層が、いつまで経っても「既婚」にならず、これはひょっとして「未」じゃなくて「非」なんすか!? ってことになって、「非婚」っていう時流として捉えられた印象があるよね。



さりとて。


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ご丁寧なお言葉


「受付番号5番でお待ちの方」とか、丁寧な表現で他人を「方」って呼ぶじゃないですか。

これ、読み方「かた」ですよね。(あ、なんかカタカタうるさい文……;)

でもこの漢字、「ほう」とも読みますよね。

方向の方、方角の方、方面の方……。

元からある意味はこっちです。

directionのこと。

なんでこれが他人を指す言葉にも転じたかというと、

 「そっち方面にいらっしゃる人」

と、遠回しに表現することにより、丁寧さを示したから。

「あなた」 も古文じゃ「あっちのほう」ってイミだしね。



「山田様」とか、敬称の「さま」も一緒。

これは「よう」ですか。

元の意味は様子の様、様態の様、様式の様……。

これもストレートに「その人」って言うと無礼だからってんで、

 「その人物の様な人」

と、遠回しに表現したのが始まり。



これは何もニポンゴに限った話じゃなくて、エーゴとかでも一緒。

助動詞の時制を過去にずらして遠まわしにすると、より丁寧な表現になったり。

(ex."Will you ...?"より"Would you...?"の方が丁寧、willは現在の意志を示し、wouldは過去に抱いていた意志を示す助動詞。)



しかしこれ、なんでなんだろう、とちょっと考える。

わかりやすい方が親切じゃん? とか、思うのだが。



で、仮説。

丁寧な表現が、なぜ丁寧だと扱われるかというと、それはひとえに「されて嬉しい」からじゃなかろうか。

逆に言えば、遠まわしでない、ストレートな表現は、されて嬉しくない・不快なのでは。



物理的な話になるけど、指差されるとムッと来るよね。

これは「指差し=失礼」とする文化背景があるからだけど、なんでそう考える文化が出来たかっていうと、それはやっぱり指差されても嬉しくないからだろう。

形態的に、それこそ「刺されそう」な感じするしねw



言葉とかも、それと一緒なんじゃないかしらん。

直接的に自分のことを言われると、ちょっとドキッとする。

「あっちの方にいる人」ってワンクッション置かれた方が、感じ方が柔らかいのでは。



あとは、婉曲表現を敢えて使うことによって、相手の知能レベルを認めていることをアピールしてる、とかね。

単純な表現なら、粗野だったり幼稚だったりする人でも使えるけど、あなたは違うでしょ? て。




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読書三到


【読書三到】ドクショサントウ

《故事》書物の内容を理解するために必要な三つの事がら。朱子が唱えた読書法。

?口到(ほかのことを話さず、その書物だけを声を出して読む)

?眼到(ほかの事物を見ず、その書物だけを見る)

?心到(ほかの事物について考えず、その書物の内容だけを考える)

 ……のこと。



だってさ。

なるほど、そうすれば文献を読みこなせてレポートもサクサク仕上がるんだね!?(泣)


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朱・赤・明


最近、朱色が気になってんです。

やたら彼岸花が見たくなったり、ライトアップされた神社の朱鳥居に見とれたり。



そういえば先日、理系の友人に

「金魚って英語でGold Fishって言うって本当ですか?」

と訊かれ、そうだと答えてやったら、

「何で? あれ赤ですよねぇ、東西揃ってどうしてそんなに色彩感覚がおかしいんだ……。」

と頭をひねる。

仕方ないので、どこかで小耳に挟んだ気がする、「金・魚」をそのまま英訳したのだ、という説を教えてやったら、そこにはひとまず納得してくれた。

(この説、ウラ取れてないんで違ったら教えてください)

でも赤を金と呼んだ昔の人のセンスはやはり理解できないというので、適当に講釈してやったのが以下の内容。



まず、昔の人の色彩感覚(=呼び方)と現代人とのそれは違う。

この色を現代人は「緑」とカテゴライズするけれども、古代の人には「青」の一種だった。

これと同じノリでわかってほしい。

「あか」という音は「明るい」と同じ起源だ。

なぜなら、ほかの色と比べても赤というのは目立ち、あたかも光を放っているように見えたから。

金というのは、光を放っている(もちろん、正確には反射している)状態だ。

ゆえに、赤=明るい=金、という等式が成り立ち、赤い魚が「金魚」と呼ばれたのではないか、と。



「くろ」も「暗い」と同源だそうだし、そこんところはスタンダールが『赤と黒』を正/偽の対比に見立てたのに通じる色彩感覚があるのかもね。

「真っ赤な嘘」って言葉があるけれど、あれは嘘のイメージカラー:赤 なのではなくて、「ウソだと明らかな嘘」の意味らしい、やっぱり。

「赤ちゃん」てのも、純粋無垢=明=赤、っていうつながりみたいね。




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