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紫式子日記

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【卒論】準備レポートから(3)「西洋―日本」


前の前の前ののつづき)



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 セルフポートレイトの議論は、「西洋―日本」の関係性にもつながっていく。 表記は「西洋―日本」としたが、これはもちろん「西洋―非西洋」や「諸外国―日本」といった方が適切な場合もある。『空想主義的芸術家宣言』「第6の空想 空想主義的・現代日本文化論」での表現を借りれば「『マナ』的なもの―『カナ』的なもの」である 。

(※注:いずれも明確には定義されていないが、「マナ」的なものとは「文化の中心の世界進出を受けての国際感覚のキャッチのしかた」であり、「カナ」的なものとは「『マナ』的なものへの反動として内部で起こる文化的成長」である。)

 先回りして述べておくと、「見る―見られる」という対立の解消は、最終的には社会全体の破滅を回避する道となる、というのが森村の考えである。



 レンブラント同様「見る―見られる」の対立から出発したポートレイトを残しているとされるのが、三島由紀夫である。「西洋―日本」の対比に関する森村の議論は他にもあるが、そのほとんどに関連付けることができるというのもあり、今回は三島由紀夫に焦点を当てたものに留めて進めていきたい。

 セルフポートレイトと三島由紀夫が関連付けて語られるのは、先に挙げた『空想主義的芸術家宣言』「第7の空想 セルフポートレイトについて」である。そこでは日本人の「セルフポートレイトな気分」は高度経済成長でのファッションセンス・プロポーション両面の成長によるところが大きいとされ、西洋コンプレックスの終焉が見られているかもしれないと森村は述べる。

 その一方で「亡霊のように思い浮かべる」のが三島由紀夫だ。三島も、自らを被写体とした写真を多く残している。しかし三島のそれは西洋への文化的・身体的コンプレックスの表出であった点で、現代の日本の「セルフポートレイトな気分」とは異質なものであるとされる。「見る―見られる」に根ざしているとは明言されていないが、「西欧―日本」の関係が「見る―見られる」の関係であるとすれば、「見る―見られる」を意識し、なおかつその図式を印画紙の上に焼き付けたのが三島であった、とも言えるかもしれない。

 森村は「現代は、誰もが簡単に三島由紀夫(的世界)を足蹴にできる時代なのである」とまとめる。前述したように文化面・身体面ともに西洋へのコンプレックスは感じられなくなり、もはや「日本vs西洋」という構図自体時代錯誤になっている。三島は自らの肉体において「オンナ」から「オトコ」への性転換を試みたが(そして、日本という国自体にも同様の性転換を求めたが)、現代ではむしろ美輪明宏のような「オトコ」から「オンナ」への移行が、「賞賛されるべき未来形の選択」として尊敬されると森村は指摘する。そのような時代の変化において、三島を「亡霊のように思い浮かべる」のだとも。

 セルフポートレイトからは離れるが、『芸術家Mのできるまで』(筑摩書房、1998)には「三島由紀夫あるいは、駒場のマリリン」というエッセイが載せられている 。東大の900番講堂での、マリリン・モンローに扮したパフォーマンス について書かれている。幾分象徴的・観念的に過ぎるところがあるが、興味深い考察なので触れておく。


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【卒論】準備レポートから(2)「画家−モデル」および「セルフポートレイト」


前のエントリからのつづき)

んで、「見る−見られる」を基盤として据えたときに、森村泰昌の「セルフポートレイト論」もその延長として見えてくるんだな。



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 「見る―見られる」「見つめる」という関係性をより直接的に反映している項目として、「画家−モデル」および「セルフポートレイト」について述べたい。

 森村の中でセルフポートレイトと「見つめる」こととは分かちがたく結びついている。森村がセルフポートレイトを主題として扱っている評論で、現在私の手元にあるのは『美術の解剖学講義』「五時間目 セルフポートレイト論」と『空想主義的芸術家宣言』「第7の空想 セルフポートレイトについて」の2つである。前者の刊行は1996年(基となった講演は1995年)、後者は2000年であり、4年間の間隙がある。そのため「見つめる」ことに対する森村の論にも若干の相違が見られるが、セルフポートレイトを論じる際に「見る―見られる」という関係に対する新たな視線として「見つめる」を提示しているという点では共通している。








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【卒論】準備レポートから(1)「見る―見られる」


森村泰昌の言ってることって、対立するものを解消しようってことなんだよなぁと仮にまとめてみる。

それらの中でも、基盤になるのは「見る―見られる」の対立と、その解消をする「見つめる」。

そこに気づいて、題目を「美術家Mのまなざし」と改めました。



「視線」ってのは森村泰昌云々も含めて、私の好きなキーワードなんだよね。

二村監督の講演然り、『ヌードのポリティクス』(読み返さなきゃ)然り。



以下、担当教諭に提出したレポートから抜粋。



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 森村は「見る―見られる」という「視線の力学」において、「見られる」対象が「見る」主体を「見返す」という状況が生じ、結果として対立が生まれる可能性を示す。

 「見返す」ということに関して引用されるものに、美術史家ノーマン・ブライソン氏の論考 がある。ブライソンは『肖像(双子)』(森村、1988)を、非西洋(=森村)が西洋を、かつ「オンナ」(=女装した森村)が「オトコ」を見返している点で、「美術史において視線の力学の再編成を試みている作品」と評価している。

(※注:『肖像(双子)』のベースとなっている『オランピア』(マネ)も、発表当時、ヌードの女性が堂々と鑑賞者を「見返して」いる点で物議を醸した。ブライソンはその点からも着想を得ているだろう。)



 「見る−見返す」の対立が招いた悲惨な結末として例に挙げられるのがマリリン・モンローである。森村は彼女の死を「『女優=女=男に見られる存在』という、映画と二十世紀文化における暗黙の了解に対する拒否」 であり、「二十世紀文化を相手に刺し違えた壮絶な死」 であるとしている。

 森村はマリリン・モンローの例から、「見る−見返す」の招く結果は破滅であると考え、その対立を是としない。そしてその破滅を避けるために、いずれとも異なる視線「見つめる」を提案する。



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【卒論】構成案を組みました


あわよくばアドバイス・ご指摘いただけたらと企みつつメモ。

題目は「芸術家Mから見た現代日本(仮)」



【第1章】 森村泰昌プロフィール

a.技法

 −扮装(女装)

 −写真

 −セルフポートレート

 ※シンディ・シャーマンとの比較


b.題材・作品

−セルフポートレート以前(〜1985)

−「西洋美術史」シリーズ(1985〜)

−「フリーダ・カーロ」シリーズ(2001)

−「フェルメール」シリーズ(2004)

−「ロス・ヌエボス・カプリチョス(ゴヤ『ロス・カプリチョス』)」シリーズ(2005)

−その他(ゴッホ、マネ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、等)

−「日本美術史」シリーズ(1990、1996)

−「サイコボーグ(ポップスター)」シリーズ(1994)

−「女優」シリーズ(1996)

−「なにものかへのレクイエム(20世紀的なるもの/男たち)」シリーズ(2006)


c.著書

『美術の解剖学講義』1996年、平凡社

『芸術家Mのできるまで』1998年、筑摩書房

『踏みはずす美術史 私がモナ・リザになったわけ』1998年、講談社

『空想主義的芸術家宣言』2000年、岩波書店

『「まあ、ええがな」のこころ』2001年、淡交社

『女優家M 演技の花道』2002年、晶文社

『「変わり目」考 芸術家Mの社会見学』2003年、晶文社

『時を駆ける美術・芸術家Mの空想ギャラリー』2005年、光文社


d.図録・作品集

『着せかえ人間第1号』1994年、小学館

『レンブラントの部屋』1994年、原美術館 編、新潮社

『美に至る病─女優になった』1996年、横浜美術館

『森村泰昌[空装美術館]絵画になった私』1998年4月、朝日新聞社

『女優家Mの物語 a Story of M's self-portraits』2001年、朝日新聞社

『私の中のフリーダ/森村泰昌のセルフポートレイト』2001年、原美術館

『DAUGHTER OF ART HISTORY』2003年、APERTURE(米)

『LOS NUEVOS CAPRCHOS』2005年、SHUGOARTS他

『卓上のバルコネグロ』2006年、青幻舎


e.雑誌

『超・美術鑑賞術―見ることの突飛ズム』2002年、NHK出版

『プリンツ21 2005年春号 森村泰昌 諷刺家伝』2005年、プリンツ21




【第2章】 森村泰昌の思想・学説(カテゴリーは暫定)


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【卒論】題目決まりました


そうそう、

忘れられがちな事実。

紫式子、大学4年生。

就職は一先ず決まりました。

次は卒論です。

題目、春から右往左往して、結局いちばん好きなところに収まることに決めました。

森村泰昌さんについてやります。

どういった見方で、どういった切り口でというのは追々決めますが、

ひとまずは「森村泰昌総論」作りからです。

というわけでそれ関係のエントリが増えるかと思いますが、

TB・コメントで情報提供などいただければ幸いです。

よろしくお見守りください。

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