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紫式子日記

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categorize-categorized-categorizing(再録)


またも旧ブログからの転載。

木戸村咲さんと、何度かこの関連の話をしたので。

しかし初期の記事は、無闇な長さに世間知らずな気合を感じますね。



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最近新たな知り合いを作る機会に恵まれているのだけれど、どうも私は大半の人に美大生専門学校生だと思われるらしい。

と、某日吉キャンパス生に言ったら、「だってそう見えるもん」て言われた。



いゃ、別にそれで損したとかそういうんではないんですが、やっぱ実際と違うカテゴリーに分類されると「ん〜」って思う。

皆さんそんなにカテゴライズ好きですか、てな気になる。



れーっとぉ〜、かん かぁてごらい そっゆ〜のわーすれてみっましょ〜ぉ♪

とまでは言いません。よ。言いません。

だって皆ついカテゴライズしちゃうでしょ。



たぶんカテゴライズっていうのは精神の防衛機構なんだよね。

ヒトはじめ生物が最も恐れるのは、たぶん未知のものなんだよ。

認識したり把握したりできない対象。

認識・把握しなきゃ対策も接し方もわからない。

だから見慣れないものに出会うと、即カテゴライズを始めてしまう。

既知のグループに当てはめて「それ」の属性・性質を見定めようとする。

生物か無生物か。

ヒトかヒトでないか。

男か女か。

フツーかヘンか。

右か左か。

付き合ったら危険か安全か。

付き合ったら損か得か。

四大生か専門学校生か……て並列して書くとマヌケだな。




でも幼稚な行為だよね。

自分をダマしてごまかして、ウソで自分を安心させているのかもしれない。

そのカテゴライズが最初から間違っているかもしれない。

グルーピングの段階で無効かもしれない。

右と左の相異なんて、本当はないかもしれないのに。

私は詳しくないけれど、左は極めると極右に近付くのだそうだ。自称極左の日吉キャンパス生に聞いた。



もっと恐いのは、言語化するとそれが真実になってしまうこと。

特にこういう、人格とか性質とか、観念的なことは。

「現実とは現実とは何かと考える瞬間にだけ人間の思考に現れる幻想だ」(By犀川創平

そしてその「現実とは何か」への答えは、言語で出してしまうでしょう。

ことばに出すと本当になる。

うそから出た真、ってなんて応用範囲の広いことわざ。

誰だよ「真実はいつもひとつ!」って叫んでるのは。

真実は、それに関する言説を唱える人の数だけある。



だから皆さん、「お前は○○だよな」とかそういうカテゴライズ、鵜呑みにしちゃいけませんよ。

いくらOTKだと言われようと、「あー、世間でカテゴライズするところのOTKになるのね、あたしは〜」くらいに取っといた方がいいですよ。

その言葉はあなたの真実を歪めます。

そのカテゴライズはあなたの行動を規制します。



って言ってるこの言葉も、「そういう言葉」をカテゴライズしてるんだけどな。

「わたしを束ねないで」か。

時代ウケする言葉やね。

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