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紫式子日記

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森村泰昌「烈火の季節 / なにものかへのレクイエム・その壱」




森村泰昌さんの新シリーズ「烈火の季節 / なにものかへのレクイエム・その壱」@シュウゴアーツ

当たり前じゃないですか行ってきましたよ。

なんつったって初日の今日は森村さん本人によるパフォーマンスがあったんですから!!



もしやと思ってたけど、やっぱり三島由紀夫の演説だった。

ただし、憂うのは国じゃなくて日本の芸術だった。



以下、作品の感想とどきゅめんたりーたっちのレポート。


展示作品は「烈火の季節」シリーズ、「薔薇刑の彼方へ」シリーズ共に5点ずつと少なく、少々肩透かしをくらった気分になった。

だがギャラリーの奥から男性の怒鳴る声が聞こえ、のぞいてみると、プラズマディスプレイに市ヶ谷の講堂で演説をする三島が……否、三島に扮した森村が映し出されていた。

しかし動画まで作っているとは思っていなかった私は、しばし、それが三島なのか森村なのか混乱させられた。

英語字幕が入っている芸の細かさも実際のドキュメンタリー映像と紛らわしくさせている。

演説の中に「芸術」「文化」といった単語が見られ、ようやく「これは森村による三島演説のパロディなのだな」とわかった次第だった。

映像の最後にカメラは「三島=森村」の視点になり、下を見下ろした。そこにはのどかな公園の景色と、そこで遊ぶ子どもたちが映し出されていた。

壁に作りつけられた棚を見ると、「烈火の季節」と表書きされた桐の箱に作品写真とDVDが納められていた。



ところでこのDVDを一通り見たところで私が感じたのは「しんどい」ということだった。

森村の作風は「ようやる」であると言われている。「よくやる」の関西訛りであり、呆れや皮肉のこもった、しかし親しさを感じさせる語を、私も最初は思い浮かべた。

しかし同時に「しんどさ」も感じた。

すでに空が暗くなる時間であったこと、ヒールのある靴を履いてきてしまい肉体的に疲労していたこともあるかもしれないが、男性の怒号が、真剣な怒号がその場の空気を張り詰めさせていることに「しんどい」と感じていた。



19時が近づくにつれギャラリーの中には人が増え、18時半頃にはもう、歩くのも億劫な混み具合になっていた。

19時を10分ほど経過し、会場にじれったさがたちこめてきた頃、観客の後ろから黒いジャージを着た男性が現れた。

拍手が起こる。

森村泰昌だった。

頭は坊主に刈り込んであり、よく知られた髪の長いプロフィール写真の人物といまひとつつながらない。

ましてやマリリン・モンローやマドンナに扮した人物だとは、にわかには信じられなかった。

森村はゆっくりとした関西訛りの口調で話し始めた。

それはディスプレイの中で熱弁をふるっていた「三島由紀夫」と同一人物とは思えないほど、温厚な印象の声だった。



話した内容は、20年前に戻ったような新鮮な気分になっていること(『卓上のバルコネグロ』など、近年の森村は「未来に向かって、振り返れ」を実践している)、大江健三郎は『セブンティーン』に鍵をかけノーベル賞を獲得できたが、三島由紀夫はそれをせず、ノーベル文学賞を獲れなかったのではないかという思い、60年代・70年代に「懸命さ」を感じると同時に「茶番」とも思っていること……等。

村上春樹がノーベル文学賞候補になっている時代に、芸術の摩訶不思議さを覚えるという。

なるほどと思った。

私が「しんどさ」を感じたのは、私が70年代ではなく80年代の子どもであり、高校時代ミシマではなくハルキを読んでいた人間だから、だったのだ。



パフォーマンスが始まる。

森村は「台に上りますね」と台に上り、ジャージを脱いだ。

赤ふんどし一丁の姿になったときは会場が笑いどよめいたが、三島由紀夫を演じるパフォーマンスだろうと踏んでいた私は、その姿にはあまり驚かなかった。

むしろふんどしが白ではなく赤であることが気になった。

続けて森村は衣装を取り出す……作品の中でも着用していた「盾の会」の制服だ。

それをまとい、墨で文字がしたためられた巻物をバッグから出した。

「静聴せよ! 静聴せよ! 静聴せい! 静聴せよと言っているんだ!!」

DVDの中と同じ、いや、生である分より迫力のある「怒号」。

プレスリリースされている原稿とも、若干異なった。

「お前ら聞けい! 聞けい! 静かにせい! 話を聞けい!

 男一匹が命を懸けてお前たちに訴えかけているんだぞ。

 いいか! いいか! それがだ!

 今の日本がだ。ここでもって立ち上がらなければ、諸君てものはねぇ、永久に外国の文化の奴隷である!

 外国の軍隊の犬である!

 だから、だからだよ!

 諸君の決起を待っているんだよ!

 諸君は表現者だろう?

 それならば、自分を否定する表現にどうして憧れるんだ!

 自分を否定する現代の日本の芸術のはやりすたりに、どうしてそんなにぺこぺこするんだ!」


真剣みは笑いと紙一重だ。

それは60年代・70年代も同じことだったのだと、森村は示しているのか。

「……わかった。わかったよ。

 諸君は芸術のために立ち上がらないと見極めがついたよ。

 これで、俺の芸術に対する夢はなくなったんだ。

 それでは、ここで俺は、万歳三唱を叫ぶ。

 ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!

 永遠の芸術、ばんざーい!」


しばしの沈黙を置き、私たちの目の前に立つのは「三島由紀夫」から、腰の低いひとりの男性に変わる。

「ご静聴ありがとうございましたー。」

ぺこりとお辞儀をする様は、可愛らしさすら感じさせた。周りからも「ギャップがすごいー」という声が聞こえてきた。

「巫女……」

このときの森村は明らかに巫女、霊媒だった。ミシマを憑依させたイタコだ。

パフォーマンス前に覚えていた違和感は払拭されていた。

ミシマを演じた男と、マリリン・モンローを演じた男と、目の前にいた男が同一人物としてつながった。



「Ψ(ФωФ)β ミラーカ * 魔女の戯言 *」様によると、この後「オマケ」があったらしいのだが、すっかりしんどくなっていた私は「お先に失礼」していた。

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