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紫式子日記

メインが耽美系アート・映画・絵画から、文房具・ライフハックに移行しています。だいぶ世俗化しました……。
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映画『ひなぎく』他2編

★イメージフォーラム「ひなぎく」公式HP

シアター・イメージフォーラムにて。

60年代チェコの短編アニメ2編と中編映画1編。
共通するのは、愛くるしさとどこか不吉な結末

トルンカ『情熱』(Vasen/'61/9分)は
赤ん坊のころから車輪で動くもの、
そしてそのスピードを上げることに夢中だった男が、
人生の最後に電動車椅子で霊柩車に突っ込み、
天に召されてガラスのような魂になる。
それでもなおハイスピードで飛び回り、
ぶつかって粉々になってしまう。。。

というもの。

シュヴァンクマイエル『エトセトラ』(Et cetera/'66/7分)は
紙に描かれた挿絵が動くという趣向のもの。
1.数種の翼を試して空を飛ぼうとする人物、
 何回も堂々巡りして最良の翼を見出せない
2.獣とそれを鞭打つ人物、
 しかしいつしか人は獣に、獣は人になり、
 延々互いに入れ替わり鞭打ちあう
3.鉛筆を持ち家を書く手、
 手の向こうに透けるのが
 平和な鳥模様のときは家が書けるが、
 その家は出入りできない。
 仕方なく進軍する兵士模様になり、
 その家を壊す。そのくりかえし。


ヴェラ・ヒティロヴァー『ひなぎく』('66年/75分)
自由奔放に、楽しいことを探して実行する2人の姉妹。
音楽も色彩も、あくまでカラフル・ポップ。
しかしOPで彼女たちの動きに合わせて聞こえる歯車の軋む音、
作中に何度も差し挟まれる時計の針が進む音などが、
映像に不穏さを与える。


んで、ね、これやっぱり、
政治的・思想的背景があるんでないかしら
と踏んで、だけど世界史パッパラパーだから
Wikipedia調べたんですよ。そしたらね、

拍手[1回]

第二次世界大戦後にチェコスロバキア共和国は復活し、
1946年の選挙で第一党となっていた共産党が
ソ連からの影響力なども背景に1948年に
共産主義政権を設立し、「人民共和国」となった。
1960年には「社会主義共和国」に改名した。
しかしスターリン的抑圧に対する不満が爆発して
ノヴォトニー政権は倒された。
ドプチェク政権が誕生し、「プラハの春」と呼ばれる
自由化・民主化路線が布かれたが、
これに対してソ連を含むワルシャワ条約機構5カ国の軍が介入、
フサーク政権が樹立された。

1989年からの「ビロード革命」によって共産党体制は崩壊し、
翌1990年には複数政党制による自由選挙が行われた。
(Wikipedia「チェコ」より)

んで、「プラハの春」は1968年だから、
これらの映画が製作されたのはその「前夜」ともいえる時代。

それを踏まえてうがった見方をすれば、
『情熱』は、盛り上がる自由への気風を、
それでもクールに見つめている気がする。
早まる動きに「事故死」の未来を見ているよう。

『エトセトラ』はさらにマクロな視点のようで、
獣と人が入れ替わる様なんか、
どんな政権・主義も長続きしない、
左右翼が互いに入れ替わって
堂々巡りするだけだ
、とでも言いたそう。
歴史的に見て政治体制が不安定な
土地柄、というのも考えに入れていいかもしれない。

『ひなぎく』は……
あの、ネタバレになるんですけど、
さいごこの2人死ぬんですよ。
私それ、なんとなく感じてたんですね。
っていうのは『イージー・ライダー』に似てるんです。
『イージー・ライダー』のおんなのこ版、
っていうのは飛びすぎかもしれないけど。
『イージー・・・』も最後、主人公の2人、死ぬでしょ。
うちの父はあれを
「アメリカはLibertyは許すが、
 Freedamは殺される っちゅことなんだな。」
と解説するんです。
ましてや、Libertyすらも許されないチェコでは。
Freedomな彼女たちは「ああなるしかなかった」。
「儚い若さ」「思想の未熟さ・幼さ」
喩えられているのかな、とも。

2人が贅沢なご馳走を踏みつぶすシーンが気に掛かる。
彼女たちは価値あるものを蹂躙し、陵辱する。
自分たちの若さ・愛らしさを搾取し、軽蔑する
大人たち・男たちに反撃するかのように。
しかしまさにその行為によってお咎めになり、
後片付けをさせられることになる。
「きれいに・きれいに・きれいに」しても、
割れた食器や汚れたクロス、崩れたご馳走は
元には戻るはずもない。
しかしそれをままごとのように
「とりあえず、体裁だけでも」戻し、
満足感を覚える姉妹。
そして直後、「あっけなく」死んでしまう。

これは何?
「自由」は殺されるし、
「自由」が乱した「秩序」も
元には戻らない
ってこと?

あと最後の
「踏みにじられたサラダだけをかわいそうと思わない人々に捧げる」
って何?
みんなわかった風に引用してんだけど、
誰も説明してくれてないんだけど。
「踏みにじられたサラダ」は2人=自由?
「サラダだけはかわいそうじゃない」って思う人なの、
「サラダだけじゃなく踏みにじった人もかわいそう」って思う人なの?
て、これはイミうんぬんというより邦訳の問題ですが。
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なんか王道はずれてるのが好き。
テーマにまとまり無くてすみません。
残念ながらこれが私です。

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