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紫式子日記

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一期一会

長続きする関係も魅力的であるし、事実私自身そういう関係を何人かの人と築いているのも確かだ。

だがその一方で、「その場限りの関係」というのに、とても味わい深さを感じてもいる。
上京していろんな人といろんな形で出会うことが増え、自ずとそういった「一期一会」にも恵まれ、嬉しい限りなのだが。

どうもそういった行きずりの関係の方が、真実をさりげなく突いた、深みのある話をしやすい。



辞書を引くと、「一期一会」という語、元は茶道で「その客との関係はその場限りなのだから心をこめてもてなせ」という教訓らしい。

これにはかなり共感する――私の場合、どちらかというと自分を魅力的な人間だと印象付けたいという自己演出欲によるところが多いかもしれないが――その人を楽しませられるのは、あるいはその人と楽しめるのは、後にも先にもその一時限りなのだから、その短い時間を可能な限り楽しみたい。

どうせ後腐れのない関係なのだから、と無礼を講じるをよしとするのだけは避けたい。

むしろ、後腐れのない関係なのだからこそ、普段するにはこっ恥ずかしい話もできるというものだ。



ゆうべ(って25日だよ)、飲み屋のトイレに並んでいるときに出会ったお姉さんとは、トイレに見られる性差別について語った。

だいぶ前、友だちと飲んでいるときに絡んできたおじさんに戦時中の話を聞いた。

一度行ったきり訪れていない雑貨屋の女店長に、女の人生について教えてもらった。

今まででいちばん印象的だったイイ男は、たぶんもう二度と会えない。



幻滅する機会がないから良い思い出として残りやすいというのもあろう。

しかしそれはなお「良い」思い出であり、思い起こすたび温かい気持ちになるのも確かだ。

だとすればやはり、自分も相手にとっての「良い思い出」の登場人物になりうるのだ。

「一期一会」の精神を持って、その場限りの関係を快いものに演出したいではないか。



と言いつつも、一期一会の関係を上回るものは、一期一会の気分を保てる恒常的な関係だ、と最近思い始めている。

馴染みの服屋があるのだが、そこの店長とは会うたびさりげなく深い話をし、その都度互いに関して新しい発見をしている。

「客と店主」という前提の為せる業かもしれないが、何回行っても初めてそこを訪れたときの気分だ。

考えることは「もしこの帰り道、事故で死んで二度とこの店に来られなくなっても、思い残すことはないか?」ということだ。

その店への愛着が強まるにつれ、本気でそう思うようになってきた。



一方で、それは「一期一会」の精神にもつながる心構えだと思える。

「二度とこの人に会えなくなっても、思い残すことはないか?」

そう考えれば、否が応にもその一時の関係に愛着が湧くというものである。



本当はこの心構えは、誰に接するときにでも持たねばならないものなのだろう。

「この人とはもう二度と会えないのであろう」と予測がつきやすい行きずりの場において、より明確に意識されるだけであって。

そうして理想的な対人関係が築けるからこそ、私は「一期一会」に愛着を覚えるのかもしれない。

願わくば、長きに渡って続くであろう関係においても、その心を忘れざらんことを。





無駄にカタい文体を使いたい気分だった。

疲れた? うん、私もだよ。

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