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紫式子日記

メインが耽美系アート・映画・絵画から、文房具・ライフハックに移行しています。だいぶ世俗化しました……。
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『ピアノ・レッスン』


ピアノ・レッスン
ピアノ・レッスン



久しぶりのマトモな記事がこんな文学的エロ映画だなんて、紫式子としてすごく正しい感じで好もしいですね。



言葉少なな映画です。

主人公・エイダは言葉を喋らないし、タイトルから連想されるとおり、BGMが占める部分が大きい。

その分、音楽+映像を通しての心象描写が際立っているんですよね。

エイダの娘・フロラも虚言癖・分裂症的なところがあるように見えますが、話が展開していくうちに、エイダの戸惑う心を反映・代弁していることがわかってきます。

直接的にエイダの言葉で語られないからこそ、不倫の恋に心が傾いていく、その過程がより痛々しく、より鮮明

まぁ、上手い映画ですよ。

これだから女性監督モノって好きさ。



ストーリーを申し上げれば、ある女性が自らの意志と自由を獲得していく映画……。

19世紀英国社会というストイックな背景に、夫を喪った子連れやもめという、禁欲を強いられるエイダの立場。

彼女の欲望を発散するのはピアノだけでした。

(それもあってでしょう、エイダのピアノを演奏する手つきや手話は、やたら色っぽく演じられています)

ですが再婚のために渡ってきたニュージーランドの荒々しい大自然(この映像美もすばらしい)と、その化身のような粗野な男・ベインズとに、「女」としての自分を明らかにしていきます。

(以下、ややネタバレあり)


拍手[0回]

最後まで

「自分の意志が怖い 何でもしてしまいそうな強い意志が」

と惑いますが、その「意志」はついに、夫・スチュアートにベインズとの旅立ちを許させます。



ラストシーンの妙にも呻らされる。

ベインズとの暮らしを始めるため乗船したエイダは、ピアノを海に捨てることを決意するわけですが。

そのとき、ピアノと一緒に一度沈み → しかし浮上、助かる というエピソードが入るんですね。

恐らくこれは、キリスト教でいうところの「洗礼」。

バプテスマで水を使うのは、一度過去の自分を[水]死させ → 神に受け入れられる状態に生まれ変わる という意味があるからなんです。

この映画でのこの場面も、封建的な社会に生きていたエイダが死に → 自由な女として生まれ変わる という象徴になっているのでしょう。



やや蛇足ですが、ベインズと幸せな暮らしを始めたエイダが時折「ピアノと海に沈んだ自分」を思い浮かべる姿には、村上春樹『スプートニクの恋人』で分かたれた、潤沢な欲望を持つミュー/何の欲望も抱けなくなったミュー を連想させられました。

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ぱっと見文化的なこと
自己紹介:
なんか王道はずれてるのが好き。
テーマにまとまり無くてすみません。
残念ながらこれが私です。

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