2006/12/12 Category : Movies 『パプリカ』 パプリカ (原作 筒井康隆)予告しておりましたが、『パプリカ』行ってまいりました。いやー、みごと私の大ッ好きな「夢うつつ系」。つーかテーマがおもっきし夢⇔現なんだけどサ。※「夢うつつ系」とは?夢なのか現実なのかわからない浮遊感、恍惚感をもたらしてくれるもの。音楽は癒し系・テクノ音楽・クラシック音楽にまたがるので、分類は私に聞いたほうが手っ取り早い。文学ではイッちゃってる笙野頼子や町田康『真実真正日記』、絵画ではダリやタンギーなどシュルレアリスティックなもの。私は森村泰昌を、この「夢うつつ」を肉体で横断してしまったスゴい人だと認識している。まず監督が今敏ってトコからだいたい皆さん察しはつくのでしょうが、映像がものごっそキレイです。これはアレね、『ベラドンナ』みたいな「絵画・イラストとしてキレイ」じゃなくて、「画質がキレイ」ってほうね。描かれてるものはけっこうグロかったりえげつなかったりするんですよ。顔だけ中年男性の日本人形とか……皮膚の下に器具や手が入り込んだりとか……。音楽もよかった!公式サイトで聴けるのでアクセスしてほしいんですけども、(ただしフラッシュ重いよ)映画の世界観そのままに、ポップで明るくて、でもどこか毒々しく怪しい。ストーリーも好きだったなぁ。理屈じゃ説明できない点が多いから、リヅメで行きたいヒトには釈然としない点が残るでしょうが、私は好きでした。ていうか私が卒論で書いたようなことをやってくれてたんですよ。※ 以下ネタばれ注意 ※ 他人と夢を共有できる「DCミニ」って機械がストーリーの中心になるんですけども、これは悪くいえば「科学(=現実)による夢の侵犯」なワケです。そして「夢は人類最後のよりどころだ! 夢を守れ!」みたいな主義のヒトが「DCミニ」を盗んで、「夢による逆襲(=現実の侵犯)」をしでかすってハナシなんです。これは、暴走しすぎな科学への警告でもあり、夢にばかり生きることへの警告でもある。いずれも人間のいとなみでありながら「家庭内別居」状態となっている両者が、手を取り合うことを勧めているのです。世界全体というマクロレベルだけでなく、主人公パプリカ⇔千葉敦子も夢⇔現の象徴になっていて、敦子(=現)がパプリカ(=夢)を服従させようとして、逆に自分がパプリカの「影」だという可能性を指摘されたり、「現実」の敦子は素直になれなくて時田に冷たく当たるけれど、「夢(=理想?)」のパプリカは天真爛漫だったり。あきらかに男ウケよさそうなのはパプリカなのに、男たちが求めたのはあくまでも「敦子」だったのもうまくできてた。そうそう、両方の要素をあわせもってその人なんだよね……っていう。まぁ、キツい女が好みってスタッフが多数派だったのかもしらんが。ちょっと敦子、モテすぎ。ラストシーン、敦子とパプリカが融合して幼児となる=生まれなおすことによって最強になったのも示唆的だった。狂ってしまった「夢」と「現実」の仲を調停できるのは、両方へのアクセス権を持つ敦子=パプリカだけってことでしょ? アレ。似たようなことが森村泰昌『着せかえ人間 第1号』と、その解説にも書いてあったんですよ。そういう私の知ってることとのリンクもあって、面白かった。原作ですパプリカ科学的見地から「夢」を語った解説が入ってます着せかえ人間 第1号「夢うつつ系」文学、2作片付けない作家と西の天狗真実真正日記 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword