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紫式子日記

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『 スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド』

観てまいりました@★イメージフォーラム・フェスティバルin名古屋。


↓UKアマゾンの商品ですが、ニホンゴ字幕あり。
リージョンフリーだからニホンでも観れるよ。
The Pervert's Guide To Cinema (REGION 0) (NTSC)
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↓イントロダクションだけ見れます


スラヴォイ・ジジェクというラカン派精神分析家が、
深層心理等の切り口から映画を批評するドキュメンタリー。

主たるテーマは、映画に見られる「現実」と「幻想」の関わり
「幻想」は「欲望」とも言い換えられます。



冒頭で『マトリックス』が例に挙げられ、
「幻想を生み出す装置」であるマトリックスは、
すでに我々の社会に組み込まれている
と述べられます。
マトリックス
惑星ソラリス めまい (ユニバーサル・セレクション2008年第5弾) 【初回生産限定】 ストーカー

「イド・マシーン(願望を具現化する装置)」が出てくるSF映画の中でも、
白眉なのは『惑星ソラリス』であるとジジェクは述べます。

無意識の願望の具現化。
惑星の力で現れた亡き妻を、主人公は深層心理で疎んじます。
ファンタジーが現実になったもの、それは「悪夢」だから。
"本物の淑女は、死んだ女だけ"。

ヒッチコック『めまい』も同様。


その対極にあるのは、同じアンドレイ・タルコフスキー監督の
『ストーカー』であると述べられます。
こちらでは、願望を筋道立てて「ゾーン」で話す必要があります。
ですが、そんなことは不可能。

「幻想の中に、現実より明確な何かが存在する」

現実のつらさから逃れるために、人は夢を見ます。
ですが、夢の世界でもっと恐ろしい出来事に遭遇し、
今度は現実が夢からの逃げ場になる。
夢を見ることは、「現実より恐ろしい出来事」に
耐えられる人間の特権である……というようなことが語られ、
私は『パンズ・ラビリンス』を思い出しました。
パンズ・ラビリンス 通常版



『ソラリス』は、男にとって女は空想の産物、
自らの淫らな欲望のゆえ存在しているという
男性の認識を明示している点でも評価されています。


一方、女性の「欲望」「空想」はどのようなものか。
ジジェクは、男のファンタジーは性行為の「最中」だが、女のそれは
「事後で性行為について語ること」なのではないか、と推測します。
「最中」に既に、後でどう語るか「作り上げて」いるのではないかと。
この辺、割と同意。

仮面/ペルソナ アイズ ワイド シャット

『ペルソナ』に登場する、女性が性行為の思い出を語る場面を
「映画史上最も官能的なシーン」とまで評価していました。

『アイズ・ワイド・シャット』の乱交集会シーンがえろくないのも原因はそこで、
あれは夫が妻の空想に追いつこうと努力するが失敗するという物語であり、
男の空想は女より貧相だから仕方がない
……とかそういう。でもこれはどーなんだろ(´・ω・)

ピアニスト トリコロール/青の愛

一方で、「映画史上最も荒んだセックスシーン」として挙げられるのは
『ピアニスト』で、相手の男性が自分の空想通りにセックスしたシーン。
空想が崩壊したときに現れるのも、また「悪夢」であると述べられます。


マトリックスがエネルギーを要したのではない。
エネルギーが、マトリックスを要したのだ。
それと同じように、我々の性欲もファンタジーを必要とする。
男も女も、性行為を維持するためには空想のサポートが必要なのだ。



『トリコロール/青の愛』は、現実と幻想を支える支柱を失ってしまう
女性が、「空想の再構築」をしていく物語なのだ、と解説されます。



ところでこのスラヴォイ・ジジェクという人、フロイトに傾倒してるからなのか
傾倒した理由がそれだからなのかわからないのですが、
やたらと「エディプス・コンプレックス」関係の話を
持ち出してました(´・ω・)w

鳥 (ユニバーサル・セレクション2008年第5弾) 【初回生産限定】 サイコ (ユニバーサル・ザ・ベスト:リミテッド・バージョン) 【初回生産限定】

たとえば「過激すぎたり暴力的すぎたりする欲望は、
現実の枠を壊してしまうから、物語という枠が作られる」という話で
例に挙げられるのが、ヒッチコックの『鳥』。
鳥の襲撃は、息子のガールフレンドを快く思わない母親の
感情が溢れ出たもの、と解釈されるんですね。

『サイコ』の犯人の男は、家の1階(=自我の象徴)では常識的にふるまっていた。
しかし、彼にとっての超自我である母親がいる2階(=超自我の象徴)では、
超自我の非常識的な要求に従っていた。
ちなみに母親の亡骸を地下室(=無意識・イドの象徴)に移動させたのは
超自我と無意識が密接な関わりを持っていることを示しているんだそうです( ´・∀・`)へー


「父親」というか「父性」への激しい嫌悪感も語る。
スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐 ブルーベルベット (特別編) オリジナル無修正版 ロスト・ハイウェイ

「本当の悪夢は、死ではなく不死」という話のところで
なんでわざわざ『スター・ウォーズ』が出てくるんだw
アナキンがダース・ベイダー化する手術のシーンで、
「父親が不死身だったらどうするんだ、それこそ悪夢だ」
と語気を荒げる。(もともと語気荒いけど。)

折につけ節につけ語られるのはデヴィッド・リンチの映画に出てくる、
キ××イでワガママで、上から目線でどーしょーもない異常な父親像。
「ファルス=権威」は所有物であり、それを身に着けることで
不可能がないかのように振る舞えるが、リンチ作品の父親たちは
自分自身がファルスだと信じ込んでいる、と分析。それもまた、悪夢だと。



鵜呑みにしちゃっちゃどうなの、という部分もありましたが、
全体として新しい「映画の見方」を教えてもらった感じです。
少なくとも『マトリックス』『アイズ・ワイド・シャット』
どこが面白いのかわかったよ。もう一度ばかにせず観よう。

あとヒッチコックとデヴィッド・リンチ、タルコフスキーは大事なんですね。
ちゃんと勉強しようと思います。TSUTAYAで。



最後に触れられるのはチャップリン。
なぜチャップリン作品は面白いのか?
『街の灯』が例に挙げられ、姿を現す恥ずかしさ、不安が
リアルに描かれているからだろう、と述べられます。
街の灯 コレクターズ・エディション


現代の世界を理解するには、映画が必要。
現実よりも、リアルだから。


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