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紫式子日記

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『ヌードのポリティクス』笠原美智子


ヌードのポリティクス―女性写真家の仕事
ヌードのポリティクス―女性写真家の仕事




自分的夏休みの課題図書、1冊クリアしました。

これは面白かったです。

今日1日で読めちゃった。

ハードカバーこんなに速く読むの久しぶり。



相も変わらずフェミ本です。

長い間「男の理想美を反映したもの」だったヌードを「女にとっての自分の姿」として扱っている諸アーティストの紹介。

アーティスト&作品の羅列ではなく、社会学的・ジェンダー学的考察がメイン。



1940年以後に生まれた世代は、女性が女性独自の視点を獲得していると述べられています。



「あなたの身体は戦場である」と女性アーティスト、バーバラ・クルーガーはズバリと言ってのけた。

それは過去および現在における女の裸の利用と侵犯への認識であり、警句である。

ヌードにおける男と女の非対称性がやっと認識されたのは70年代以降である。

女の身体が一度として女のために描かれてこなかったことが認識され始めたのである。

そして女たちが自分の身体への主体性を回復するために様々に試み、様々な作品が生まれることになる。




女性独自の視線とは、自分の内に刷り込まれてきた「男性が創り出した女性としての世界を見る目」が自分の内に刷り込まれているのを自分の内面に意識していながら、そのそぐわなさを洗い出して、自分自身の視点を獲得することである。

※「 」は村崎



社会から、メディアから、教育から、慣習から、女性は絶えず<女役割>を、意識的にあるいは無意識的に教えこまれる。

受動的であり、感情的であり、主観的であり、非合理的であり、依存的であり、自然に根ざしている、といった男性の創った<女性性>を学ぶ。

そして、そうした<女性性>に対し本来の自分が拮抗して居心地の悪さを感じた時、女性はダブル・バインドの状況に陥るのである。

「男は自分の目で世界を見ているが、女は二種類の目を使い分ける――男と同一化した目(自分のではない目)と、女としての目(自分の目)との両方で」。



男によって作られた視点でものを見ている自分と、それを客観的に意識する自分がいる、ってことですかね。

しかし「男の目」「女の目」双方を意識しただけでは話が終わらず。



しかし、では"自分の目"とは何か、といった疑問が湧いてくる。

女性が家父長制文化における規範に従って<女性>になるのだとしたら、では、本来の<女性>とは何か。



写真に表現される女性のイメージやその描かれ方に、言葉を換えれば、自分にとって自然と思われてきた<女性性>や<女役割>に、不自然さを感じ始めた女性アーティストは、女性とは何かという、漠とした命題に取り組み始めた。

女性とは何かという命題は、それが常に相手との関係を想定した、相対的なものであるゆえに、一定の絶対的な規定が答えとして提出される類のものではない。

それはもちろん、男性とは何か、という問いに対しても同じだろう。

問題なのは、<男性>と括られるべきを、<人間一般>としてきたことである。



そして、その答えを出すべく女性アーティストの関心は<自分>に向くのだ、と続き、彼女たちの仕事をひとつひとつ検討していきます。

第3章「ジェンダー――記憶の淵から」では男/女に限らず、健康/病気ですとか民族(差別)にも触れられています。



「フェミニズム」という言葉ではもはや括りきれないのかもしれない裾野の拡がりを見せてくれる本。

しかし7年も前の本なのに全然古びていないとは、どないなこっちゃい。



斜体は全て本文からの引用です。

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