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紫式子日記

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映画『ダウト ~あるカトリック学校で~』

公式サイト

1964年、ニューヨーク・ブロンクスにあるカトリック学校―。
厳格な校長シスター・アロイシスはひとつの “疑惑”を抱く。
生徒に人気のあるフリン神父が、学校で唯一の黒人生徒と
“不適切な関係”をもっているのでは…?と。

新米教師シスター・ジェイムズの目撃談によって芽生えた
この小さな“疑惑”は、次第にシスター・アロイシスの心を
まるで一滴の毒が浸透するかのように支配していく。

フリン神父の弁明も彼女の心には届かない。
一方純真なシスター・ジェイムズはフリン神父の弁明を信じ、
逆に“疑惑”のモンスターと化したシスター・アロイシスへの不信感を募らせていく。




映画でもいいけど、舞台向きの作品だなー と思ってたら、
やっぱり元は戯曲だったみたいね。

あらすじにしてしまうと↑だけなんだけれど、青みがかった映像、
素晴らしい音楽(カトリック学校が舞台だから教会音楽も!!)。
何よりメリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの
演技の冴え渡り方が! すげぇ!! 怒鳴りあう、激昂する、まじ怖い(笑)



舞台が1964年ってところがミソで、これはアメリカで
価値観の「世代交代」が起こりつつあった時代。

映画で考えるとわかりやすい。
Wikipediaで「アメリカ合衆国の映画」の項目を見てみると、
「1967年の映画『俺たちに明日はない』を発端として、
アメリカではアメリカン・ニューシネマと呼ばれる
反体制的な若者を描く作品群が1970年代半ばまでいくつか制作された。
これはベトナム戦争(1960年~1970年)が影響を与えたと考えられている。」

とあります。

メリル・ストリープ演じるシスター・アロイシスはすごく保守的な校長先生、
対するフィリップ・シーモア・ホフマン演じるフリン神父はすごくリベラル。
二人はそれぞれ、新旧の価値観の代表であり、寓意でもあります。



しかしこれ、原作の戯曲が作られたのは2005年なんですよね。
なぜわざわざこの時代に、1964年を舞台にした戯曲が書かれたか。

それは恐らく「自分の価値観すらも信じられない時代」が
再び訪れたからだと思います。

私、ラストのシスター・アロイシスの発言はつまり
そういう意味だと思っているのですが、いかがでしょう。

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「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」展@渋谷Bunkamura

特集Webページ

実はあんまり乗り気じゃなくて、ル・シネマでやってる
『ダウト』を友人に勧められたからついでにザ・ミュージアムも
見とくか……みたいな感じで見に来ただけ(笑)。しかも最終日……。

しかし来て良かった!
ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館
っていうところが改修工事のため休館⇒作品を借りてこれたみたいで、
本当に所謂「20世紀美術」の花形が揃ってるんですよね。

表現主義(マティス・シャガール)、キュビズム(ピカソ・ブラック)、
シュルレアリスム(マグリット・エルンスト・タンギー)、
そしてカンディンスキーとクレー。



印象に残った作品のメモ。

【表現主義的傾向の展開】
○ ジョージ・グロス『恋わずらい』
 この人は知らなかったんですが、灰色っぽい独特な色合いの人物が目を引きました。
 戦時中のカフェで恋に思い悩む画家自身が描かれていて、
 「戦時中でも人は恋をするんだ!!」みたいな体制への批判にもなっているそうです。
 そういう、批判的・風刺的な作品が多い人らしいです。

○ マックス・ベックマン『夜』
 第一次大戦後の、貧困と混乱に陥ったドイツを象徴的に描いた作品。
 教科書で読んだことはありますが、絵画で「見る」のは初めてだったのでぎょっとしました。
 エルンストの『聖アントニウスの誘惑』に似てる気がした。不吉な有機的群像。

○ マルク・シャガール『バイオリン弾き』『祝祭日』
 シャガールの作品の中でも、特にユダヤ文化色が強い2作品。
 ユダヤ人の生活に音楽は欠かせず、特にバイオリンは欠かせない……というキャプション。
 そうなのかー、ふーん。と。
 『祝祭日』は白を基調とした、ちょっと東洋的な雰囲気も感じる作品。


【キュビズム的傾向の展開】
○ パブロ・ピカソ『二人の座る裸婦』
 デカッ!! ってかんじ。
 この人もひょっとして、巨女願望的傾向ある?

○ ジョルジュ・モランディ『静物』
 モランディは、油彩の勉強をするにあたって模写したんですよ、中学のとき。
 すごく好き。静謐な感じ、落ち着いているところがすごく。
 静物画なのに、静かすぎてちょっとシュルレアリアスムっぽいところも。


【シュルレアリスム的傾向の作品】
○ ルネ・マグリット『とてつもない日々』
 裸の女性が男性に襲われている「とてつもない」状況の絵なんだけど、
 その様子は女性の身体のラインに沿って切り抜かれて描かれていて、
 一見すると怯えている女性しかいないように見える絵。
 「女の被害妄想」だってことを言いたかったのかなー、となんとなく。

○ ルネ・マグリット『出会い』
 この作品に付いていたキャプションが秀逸だったので、引用。
 「この画家にとって絵画とは、多分に記号的な、約束事的なものなのである。」

○ ルネ・マグリット『庶民的なパノラマ』
 こちらは、マグリット自身の言葉。やはりこの人あたまいい。
 『画家は、その元になっているあなた方が賞賛しえない類のものに
  似せたものによって、あなた方の賞賛を獲得する』

○ マックス・エルンスト『揺らぐ女』
 エルンストは技法によってえらい雰囲気が違うので、好きなのと嫌いなのとが
 私の中でもあるのだけれど、これは好きな方のエルンスト。色合いがきれいですよね。
 女性が女性器みたいな形の機械に振り回されているところも、なんか好き。

○ リヒャルト・エルツェ『日々の苦悩』
 この人も初めて知った人。
 デカルコマニーを使っていて、エルンストぽいんですが、
 エルンストのデカルコマニーより色がパステルカラー寄りできれい。

○ マックス・エルンスト『我々の後の母性』
 タイトルが好き。

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「エコール・ド・シモン人形展」@紀伊国屋画廊

エコール・ド・シモン Webサイト

私の中では四谷シモンて、澁澤龍彦たちに代表される
「日本がリアルに耽美サブカルだった時代」の
生存者のひとり……て感じなんだけど。
案外皆まだ生きてるんだけどね。金子國義とか、細江英公とかね。



四谷シモンが主催する人形制作学校「エコール・ド・シモン」の
生徒さんたちの作品展。紀伊国屋書店新宿本店4Fにて、3/24まで(!)

耽美耽美した、ゴスだったりロリだったりする人形ばかりかと思っていたんですが、
民芸品ぽい意匠のもあって、かなり幅広く、生徒の志向を尊重して
やっているのだな~ ということを知ることができました。
そもそもそこからかよ、ってかんじですが。



気になった生徒さんたちのサイト。

★佐藤珠子さん「colors and the girls」
 意志の強そうな顔の少女たち。

★中嶋清八さん「中嶋清八ブログ」
 現代版能面?

★青野明彦さん「AUX STRAPONTINS ATELIER」
 所謂「球体関節人形を使った作品」のイメージ。



しかし、やっぱり四谷シモンさんの人形は可愛いんですね。可愛い。
なんだかしみじみ思って、見つめてきてしまいました。

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「やなぎみわ マイ・グランドマザーズ」@東京都写真美術館


写美Webサイト
TOKYO SOURCE インタビューページ

20代~40代の女性が「自分の50年後」の理想なり予想なりをやなぎみわに伝え、
特殊メイクで「50年後」の姿を撮影する「マイ・グランドマザーズ」シリーズ。

元々やなぎみわの作品には「老婆」が多いのだけれど、今までのものは
モチーフとしての「老婆」というか、一般概念としての「老婆」という感じだった。
いろんなおとぎばなしに共通して出てくる「魔女」みたいなポジションの。

でも、今回は実在の、一般の女性たちが想像した「自分の50年後」で、
どの「おばあちゃん」もそれぞれキャラが立っていた。



印象に残っているのは、画面の外を見つめ、物思いに沈む表情の2作。

「次の私の肉体は、必ず私の手で作る」と決め、
人形制作に取り込む手を、ふと止めて考え込む《SHIZUKA》。
年老い、水分を失ってかさかさになった肉体の「軽さ」が、
喪失感よりも身軽さを帯びてきたということなのだろうか。

海外に住む友人を訪ねよう、と突然決心し、飛行機に飛び乗った《SACHIKO》。
窓側の席で朝日を見つめながら、己の存在の小ささに思いを馳せる。

この2作が目に留まったのは、私が、そうなっていたいからなんだろうな。
今までの人生とか、「今」の心地よさ、寂しさも含んでの気楽さ、
そういうものについて考えながら、じーっと何かを見るでもなく見つめていたい。

イヤ早く年取りたいですもん。
早く今くらいのことを「若い頃はねぇ……」って語りたいですもん。



そして気になったのは、「後継者」とか「次世代」を意識している人が多いこと。

占い師として自分の後継者にふさわしい少女を探し続ける《AI》、
海に沈んだ世界で、アマゾネスの女長老のように生きる《MIKA》、
人類がほとんど死に絶えた世界で予見をする《MIE》……。
そして、やなぎみわ自身も《MIWA》として、世界各地に養子を
迎えに行く旅に出ている。(なぜか衣装はメーテル!)

私はそこまで思いが至らないのだよなぁ。
自分のことしか考えられない。
というか、自分の現在にすらリアリティを感じていないからなぁ。



若い女子にとっては、「思いを馳せる」いい契機になるシリーズだと思うのだけれど、
彼女に連れられてきちゃった男子とか、リアルおばあちゃん(実際にいた)とかは
これを見てどう思うのだろう、と考えてしまった。かなり気になる。

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『音楽』三島由紀夫



実験的な作品……なのかな……。

精神科医が、ファム・ファタル的な女性患者に
翻弄されるかされないかのスレスレのところで接しながら、
彼女の精神をアンビバレントにした根本原因を探る
サイコ・サスペンスちっくな一作。

発表当時はセンセーショナルだったのかもしれないけれど、
ちょこっと精神医学をかじっているアタマで読むと
「典型例」すぎて、物足りない。

ハッピーエンドなのも呆気なく感じる。
『潮騒』読んだときみたいな気分。
それとも私は「三島由紀夫」に先入観を抱きすぎなのか?

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