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紫式子日記

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『魔羅節』岩井志麻子


魔羅節
魔羅節



入りは『自由恋愛』だったんだな。

今思えば、本領じゃなかったんだね。

んで次が『ぼっけぇ恋愛道』ってエッセイで、だんだん「なんだ、こういう人なんじゃんw」って気になってくる。

『ぼっけぇ、きょうてぇ』は先に映画を観て、その後立ち読み。

夢うつつで、夢もうつつも悪夢という感触。

そしてこの『魔羅節』。

やばいね、来たね来ちゃったね

何がどこにて、私がここまで



8篇から成る短篇集。

表題作以外にも「おめこ電球」「金玉娘」と、破廉恥(カタカナじゃなくて漢字)な文字が並ぶ。

言うまでもなく、すべて性に関するもの。

しかし内容は決して滑稽でなく、むしろホラー。

生臭くて、うすら寒い。

どの物語も、性に関わる一方、必ず死にも関わっている。

性はわかりやすくは肯定されていない。

「きょうてぇ=恐ろしい」もの、しかし興味を惹かれてしまうもの、業のように(あるいは死のように)逃れがたいものとして描かれている。

「淫売監獄」に出てくる男根の描写が、この本の雰囲気そのものだと思ったので載せておこう。

「固いのに柔らかく、熱いのにひんやりしていて、恐ろしく血の気に満ちているのに死肉だ。」



扱われている内容が生臭いだけでなく、実際生臭さの描写が多い。

それは死体の臭いであったり、女陰の臭いだったり、いろいろだが。

「打ち上げられて死んだ魚の臭いは、自分の腰巻きの下からも臭う。」(「きちがい日和」)

「ねっとりと粘るような色気、腐った果実の臭い、蜜が滴るほどの艶っぽさの気配を感じた。」(「金玉娘」)



加えて、「おめこ電球」「金玉娘」「支那艶情」は、「ぼっけぇ、きょうてぇ」同様、登場人物(と読み手)が夢うつつの区別が付かない仕掛けになっていて興味深かった。

志麻子センセの中じゃ渾然一体なんだろうか。



そしてこんだけエロくてグロい小説を、平然と男友達の部屋でゴロ寝しながら読んでいられた私の神経は、どうしたもんなんだろうか。

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『イッツ・オンリー・トーク』絲山秋子


イッツ・オンリー・トーク
イッツ・オンリー・トーク



なんか友達になれそう、絲山秋子。

『沖で待つ』を読んだ時点では、男友達とのサバけた関係に共感はしていたけれど、作品自体があんまし好きじゃなかったからな。



表題作と『第七障害』を収録。

どちらもカッチリした文体で、日々を淡々とつづる。

読み手も主人公も気づかぬうちに主人公に内面的な変化が訪れていたりするけれど、

それは淡々とした物語にとりあえずエンドマークを打つための言い訳に見える。

主食は「淡々とした語り」なのでは。

イッツ・オンリー・トーク、まさに。



んー、何なんだ?

人物が魅力的なわけでも、ストーリーが微笑ましかったわけでも、何か気に入ったセリフがあったわけでもないのに好きだと思えたぞ。

やっぱり文体かな。

心温まる情景でも、簡潔に切り分けている、その感じ。

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ダリ回顧展




ダリ回顧展


行っちゃった。

ただし、閉館30分前(=入場ギリギリ)に。

大規模な展示です。

当然、見切れません。

(その上、上映15分の『アンダルシアの犬』なんか観ちゃった日にゃあ。)



ドタバタした中でも感想。

サルバドール・ダリ美術館とダリ劇場美術館の作品のみを扱った展示なんですよね。

だから『ラファエロ風の首の自画像』ですとか『焼いたベーコンのある自画像』なんかは来てますが、『記憶の固執』とか『目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢』あたりはありません。

いわゆる「花形」がない代わりに、少年時代の作品・晩年の作品が豊富です。

一般に流布し、定着しているダリのイメージを裏付ける……というよりは、「人間・ダリ」の生涯を丹念に追っていく印象を受けました。



会場の内装も気合が入っています。

年代により、セクションを区切る鮮やかな色が素敵。

ジグザグの通路も凝ってます。

パリのエスパス・ダリで使ってたダリの肉声入りBGM掛けてほしかったですね、個人的には。



と・は・い・え。

1/3は知ってる作品だけど2/3は知らないという状態。不勉強だから。。。

そのため絵に現れるモチーフですとか、題名の言葉遊びがわからず、潔く目録を購入しました。

目録、豪華ですよ!

解説は詳しいし装丁もきれい。

長く開催される企画なので、目録で自習してから再挑戦します。

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月の神秘、美容にも


ずーっと昔、drecomBlog時代にもこんな内容の記事を上げた記憶があるけれど。

とりあえず、月ってのは神秘、あるいは神秘的だなぁと今でも思ってる。

満月の夜には人間の出産、サンゴの産卵、馬の狂死が多い。

女性のホルモン周期は月の周期と同じペース。



とか思っていたら、それを利用した化粧品てのがあるらしい。

pjのコスメライン、gjで知った。



〜月の満ち欠けに着目したビューティーライン〜

JUST PURE


なンでも、月齢によって向いているスキンケア・ボディケアが違うそうな。

満ちゆく月;チャージ=お肌に栄養素を取り入れる

満月;リラクゼーション=心身ともに興奮するので、リラックスを心がける

欠けゆく月;排出=水分・老廃物を排出する

新月;浄化=最もデトックスに向いている


ってな具合に。



このJUST PUREってブランド、製品もふさわしい月齢のときにしか作ってないとか。

お値段は相当張るけれど(笑)、チャージ→リラクゼーション→排出→浄化のサイクルは、意識すると効果が出るかも。



このBlogにも、MoonPhaseを復活させようかな。

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『肩ごしの恋人』唯川恵


肩ごしの恋人
肩ごしの恋人



「男を信用していない」自立しきった女・萌と、「男にちやほやされなければ女である価値がない」ぶりっ子・るり子のコンビが主人公。

この2人、正反対の性格に見えるのだろうけれど、実は女性がみんな持ってる二面性の人格化だと思う。

比率はどうあれ、みんなどこかしら萌っぽいところがあるし、るり子っぽいところもあるんじゃなかろうか。

だから、萌の意見とるり子の意見、両方7割同意できて、3割反発を感じる

そういうところ、私見っていうか私情といちいち向き合わなきゃいけなくて、却って読みにくかったりしたんだけど。



そして(これはフィクションならではのパーソナリティーなんだけど、)萌もるり子もそれぞれに「サバけて」いる。

方向性は違えど、互いの主義主張がはっきりしていて、それを実践している。

萌などは矛盾を感じてもいるけれど、それすらもきちんと見つめている。

仕事を辞めるという行動で、最終的にはその矛盾を解消するし。

るり子も指摘されて自分の「主義」の浅はかさを知るけれど、それが人間的な円熟につながっていく。



表面的な部分は古典的かもしれないけれど、その根源となっている2人の思考は、ラジカルで痛快。

女の子は楽しめると思う。

男の子は、怖いかも。

ただ、2人の思考プロセスの説明がいちいち長く、精神的なステップアップもわかりやすすぎて露骨かなー、という感想。

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