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紫式子日記

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『恋愛譚』楠本まき


皆様、楠本まき作品のお目見えですよ。


恋愛譚
恋愛譚





これ、立ち読みはしてあったんですよね。

ただ、当時は今よりお金が無いようなレヴェルで、敢え無く看過したのですけれども。

えぇ、この度ご縁がありまして。



運命の恋人であるはずなのに、すれ違い、互いに気づかないばかりで出会うことの無い少女・新月と少年・猫目丸。

巻末の章で2人が運命の恋人であるにも拘らず、出会わなかった理由が語られ……そして、2人は出会わないままこの本は(そして恐らく世界は)終わります。



これは、楠本作品の中でも「恋愛」というものがラジカルに語られていて好き。

既成の「恋愛」という概念に囚われていない、強い言葉を使えば所謂「恋愛」を冒涜する「恋愛」譚。

なぜ新月と猫目丸の相性が良いかって、新月は「愛玩されるのが好きで、哀願されるのも好き」、猫目丸は「愛玩するのが好きで、哀願するのも悪くないと思っている」からなんですね。

新月は人格なんか認めてほしくないと思ってるし、猫目丸は人格なんか認めるつもりはない。

そんな2人の物語に『恋愛譚』と題するアイロニーっぷり。

楠本まき、恐るべしですよ。

あと、巻末章、種明かしの頁で繰り広げられる、「雪白」「灰かぶり」「赤頭巾」らのスレた会話が絶妙。



 「あなたこそ王子様は関係ないんじゃないの 赤頭巾。」

 「あんたの目的は狼に喰われりゃ達成なんでしょ?」


 「ええまあね」

 「私は肉欲担当だから。」




何が怖いって、幻想的な全編の中で、巻末のその会話だけがリアルな生々しさを持ってるってことだよ……女の子って怖ぁい・笑。

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「ジゼル」〜能とバレエによる〜


今、巷では文化庁芸術祭というものが行なわれていまして。

昨日はそのオープニング公演・「ジゼル」〜能とバレエによる〜を観に行っていたのです。



「ジゼル」自体は、皆さまご存知の通りバレエの定番プログラムなんですが、公演前半のパートは、「ジゼル」を能にアレンジした新作能でした。

きちんとお囃子とかいて。(笛の音キレイ。しびれた。)

半分現代語だったけど、詞章があって。(詩人の水原紫苑さんが脚本。)

能って初めて観たから偉そうなこと言えないんですが、西洋の舞台芸術をアレンジしているからかえって、能ならではのルールみたいなのが浮き彫りになっていて、面白かったです。

原作ではジゼルとアルブレヒトが一緒にダンスすることになっているんですが、日本にはそういう舞踊がないから、代わりに2人が同じ動きで舞を舞うようにしてあったり。

しかし……中世の時間速度は21世紀のそれとは合わなかったらしく……眠くなったね!; 失礼ながら。。。



後半は、正統派バレエの「ジゼル」。

時間の制約で、第2幕の墓参りのシーンだけだったんだけど、楽しめました。

プリマダンサーもさすがお上手だったけど、ウィリー役の方たちが、24人全員全く同じ動き(!)でずっと踊っているのには感嘆しました。

あと、この度初めていわゆる「正統派の」バレエを観たことになるのですが

(「正統派」じゃないのならある。)

音楽と動きの一致、っていうのは発明ですね!

チョット立ち止まる、何かを投げる、そういう動きのひとつひとつに合わせて、バレエ音楽は音をポン、と置いたりしているってのがわかりまして。

『白鳥の湖』とか『くるみ割り人形』とか、曲だけでは散々聴いてるけど、バレエの舞台を観たら、また聴こえ方変わるんだろうなぁ。

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李白


えー、昨日はブログほっぽってレポート書いてました。

しかも本業の社会学とかじゃない、中国文学の方。

で、李白の人生についてテキトー並べて3400字埋めたんですけどね、今日やっと。



それで思ったこと。

李白って、自ら進んで孤独に浸りに行っちゃうタイプの人だったんじゃないかしら。

ってこと。




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