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紫式子日記

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李白


えー、昨日はブログほっぽってレポート書いてました。

しかも本業の社会学とかじゃない、中国文学の方。

で、李白の人生についてテキトー並べて3400字埋めたんですけどね、今日やっと。



それで思ったこと。

李白って、自ら進んで孤独に浸りに行っちゃうタイプの人だったんじゃないかしら。

ってこと。




李白って人は、ほんとにまぁ自由人で、10代の頃はやくざの一員だったりもしたそうです。

それが派手好きの玄宗皇帝に気に入られて、一度は宮廷仕えをするのですが、酔った上でのそそうなんかで、結局追い出されちまいます。

んで、酒好きでね……交友のあった杜甫が、「李白は酒を一斗飲むと、詩を百篇作れる」なんて詩まで残しているほど。

そして旅好きで、人生のほとんどを旅に費やしてたんです。

奥さんもいたけれど、正式な妻が2人、内縁の妻が2人、生涯でいたとされています。

住み家にも女にも落ち着かねぇw



ただ、こんな豪快な人生を送った人の割に、李白の詩は繊細な情緒を含んでいます。

静夜思(静夜の思い)」なんかは、中学・高校で皆さまやったんじゃあないでしょうか。



   牀前 月光を看る

   疑うらくは 是れ 地上の霜かと

   頭(こうべ)を挙げて 山月を望み

   頭を低(た)れて 故郷を思う




李白は、西域の出身であったと言われています。

それが、5歳ごろ四川地方に引っ越してきたのです。

ですから、彼は幼くして「生まれ故郷」を離れ、異邦人としての生活を始めたとも考えられます。

いわば、幼少の頃から旅人だった。



前述したとおり、彼は人生のほとんどを旅に費やしました。

現代と異なり、交通網が整理されていない当時、旅をすることは命懸けでした。

それでも彼は、旅に出たのです。

これは、常に異郷に身を置くことによって、常に故郷・故国を意識できる立場にいたがったためだ、とする説があります。

私はこれをさらに、「孤独」と結びつけて考えてみました。

故郷・故国を敢えて意識しに行かねばならない程の、さびしさ・孤独さ。

そして何度旅に出ても、その感覚は満たしきれず、また旅に出た。



酒好きだった李白は、酒にまつわる詩も数多く残しています。

それらもまた、孤独と結びつけて考えることができます。

それらの詩には、大別して友と楽しく飲むときの詩(「一杯 一杯 復た一杯」)と、一人酒の詩とがあります。

前者は李白の人懐こさ、もっと言うと人恋しさを描いているように見えますし、後者には、「一緒に飲む奴がいない」「でも月と俺の影がいる」というような、李白なりの孤独との付き合い方が描かれています。



また彼は、月をこよなく愛した詩人でもありました。

彼の詩の三分の一が、月を詠み込んだものだと言われています。

(上に挙げた「静夜思」はその代表的なもの)

月の光は、人を侘しい気持ちにさせます。

美しいのに、手が届きませんから……。

それでも李白は月を愛しました。

恐らく、手が届かない、その不可侵性ゆえ。

(事実、月をそのようなものとして描いている詩もあります。)



このように、李白を語る上で欠かせない「旅・酒・月」のいずれも、彼の孤独さを表していると考えられるのです。

ですが、繰り返し旅に出たその姿勢など、むしろ李白の方から孤独を求めていったような部分も見られます。

これはもう、性のようなもので、物心付いたときから「異邦人」として生活してきた李白にとっては、帰る故郷も、理想を満たしてくれる人もない、孤独な状態がむしろ通常状態として在って、孤独でなければむしろ居心地が悪かったのかもしれません。

そして、その孤独さから生じる哀愁が、李白作品の魅力となっていることも、また事実なのです。

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