2008/08/12 Category : Books 『東京大学「80年代地下文化論」講義』宮沢章夫 20年経った今だから振り返られる、「80年代」。東京大学「80年代地下文化論」講義 (白夜ライブラリー002)あらかじめ断っておくと、私は1984年生まれ、24歳女子です。年女です。しかも甲子な。まぁ、なのでバブルはじけたりベルリンの壁が崩壊したときにやっと5つとか6つとか小学校上がりたてだったので、自分が生まれた80年代というのをよく知らなかったりする。「あの頃」みたいなTVの特集でジュリアナ東京の映像が流れたりする、ああいうイメージしかない。あと『バブルへGO!』か。でも、★東京グランギニョルとか村上春樹とかも80年代の産物なんだよな。うーむ、やっぱりわからん、80年代。なので、「オタク」以外の切り口で「80年代とは何だったのか」を考えよう、というこの本(というか講義)のコンセプトは非常にありがたかった。宮沢氏は80年代の志向するところは「カッコいい」だったのではないか、と考える。それは宮沢氏自身もたずさわっていた1982年OPENのクラブ★「ピテカントロプス・エレクトス」が非常に「カッコいい」、ちょっと「敷居の高い」場・空間だったから。 実際、ピテカンに限らず、80年代は「カッコよかった」と宮沢氏は考える。DCブランドものを皆が身に着け(⇒地べたに座る若者が消えた)、音楽は坂本龍一などのテクノ・ポップ。岡崎京子の作品などからも、80年代の「カッコいい」様相を探る。「80年代はスカだった」という言説が、90年代に入った途端見られ始めた。(それも、80年代的文化を仕掛けた『宝島』によって。)なぜスカと言われるのか。宮沢氏の見解は「70年代の批評性を徹底的に排除しようとしていたから。」つまり、80年代の「何も考えてない感」「無批評な感じ」は、アンチ70年代という姿勢であり、実は有り様自体が批評的だった。しかし、その「無批評」というスタンス(≒「カッコいい」)はひとつの「形式」となり、批評性が失われてしまった(≒カッコよくなくなってしまった)……というお話。80年代は「反復」の時代だった、と宮沢氏は言う。このことは、私が卒論で扱った森村泰昌を見ていても察せられる。(森村泰昌を一躍有名にした『ゴッホ』の発表は84年。)「反復」自体は悪いことではない。しかし、批評性のない「反復」に、発展性はない。単純に、面白かった。それに、変な言い方だけど、元気が出た。元気と言うと語弊があるけど。前に進まなきゃという意識。さて、読者として考えるべきことは、ここから10年経った90年代、20年経った00年代はいかに語られうるのか? いかに語られるべきなのか?ということだと思う。タイム・インターバル的に、有効な90年代論は10年後、有効な00年代論は20年後にならないと現れないかもだけど、先取りして1行下書きしておけば、前者は「根拠のない絶望」後者は「否定できない光と闇の共存」て具合かなと思う。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword