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紫式子日記

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『東京大学「80年代地下文化論」講義』宮沢章夫

20年経った今だから振り返られる、「80年代」。



あらかじめ断っておくと、私は1984年生まれ、
24歳女子です。年女です。しかも甲子な。

まぁ、なのでバブルはじけたりベルリンの壁が崩壊したときに
やっと5つとか6つとか小学校上がりたてだったので、
自分が生まれた80年代というのをよく知らなかったりする。

「あの頃」みたいなTVの特集でジュリアナ東京の映像が流れたりする、
ああいうイメージしかない。あと『バブルへGO!』か。

でも、★東京グランギニョルとか村上春樹とかも80年代の産物なんだよな。
うーむ、やっぱりわからん、80年代。



なので、「オタク」以外の切り口で「80年代とは何だったのか」を考えよう、
というこの本(というか講義)のコンセプトは非常にありがたかった。

宮沢氏は80年代の志向するところは「カッコいい」だったのではないか、と考える。
それは宮沢氏自身もたずさわっていた1982年OPENのクラブ
「ピテカントロプス・エレクトス」が非常に「カッコいい」、
ちょっと「敷居の高い」場・空間だったから。
実際、ピテカンに限らず、80年代は「カッコよかった」と宮沢氏は考える。
DCブランドものを皆が身に着け(⇒地べたに座る若者が消えた)、
音楽は坂本龍一などのテクノ・ポップ。

岡崎京子の作品などからも、80年代の「カッコいい」様相を探る。



「80年代はスカだった」という言説が、90年代に入った途端見られ始めた。
(それも、80年代的文化を仕掛けた『宝島』によって。)

なぜスカと言われるのか。宮沢氏の見解は
「70年代の批評性を徹底的に排除しようとしていたから。」

つまり、80年代の「何も考えてない感」「無批評な感じ」は、
アンチ70年代という姿勢であり、実は有り様自体が批評的だった。

しかし、その「無批評」というスタンス(≒「カッコいい」)はひとつの「形式」となり、
批評性が失われてしまった(≒カッコよくなくなってしまった)……というお話。



80年代は「反復」の時代だった、と宮沢氏は言う。
このことは、私が卒論で扱った森村泰昌を見ていても察せられる。
(森村泰昌を一躍有名にした『ゴッホ』の発表は84年。)

「反復」自体は悪いことではない。
しかし、批評性のない「反復」に、発展性はない。



単純に、面白かった。
それに、変な言い方だけど、元気が出た。
元気と言うと語弊があるけど。
前に進まなきゃという意識。

さて、読者として考えるべきことは、
ここから10年経った90年代、20年経った00年代は
いかに語られうるのか? いかに語られるべきなのか?
ということだと思う。

タイム・インターバル的に、有効な90年代論は10年後、
有効な00年代論は20年後にならないと現れないかもだけど、
先取りして1行下書きしておけば、前者は「根拠のない絶望」
後者は「否定できない光と闇の共存」て具合かなと思う。

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