2006/05/04 Category : Art ロダンとカリエール展 国立西洋美術館といえば前庭の『地獄の門』! 『考える人』! といった具合に「ロダンの美術館」というイメージがありますが。そこが満を持して開催した、ロダンと親友の画家・カリエールの「2人展」。とかく、「アタマでアートする」ってことを欠いてきた私ですが、2人が象徴主義に属するということにも、この日やっと気付きました。だって象徴主義って言ったら、「ベルギー象徴派展」で観たようなギリシャ神話とかサロメの物語とかを題材にしたオタクな流派をイメージしていたんですもの。そもそも象徴主義とは何ぞや。Wikipediaによると「人間の内面や夢、神秘性などを象徴的に表現しようとするもの」。あ、別に神話をベースにしてなきゃいけないわけじゃないのね。結果的に題材に好まれるだけで……。「人間の内面」。確かにロダンとカリエールは、生涯に渡りこのテーマに取り組みつづけた芸術家だったと言えるのでしょう。 その集大成がロダンは『地獄の門』『考える人』だったし、カリエールは一連の『母性』に関わる作品群だった。「象徴的に表現」という点も、彼らは地で行っています。カリエールの作風は、あまり色を使わず「明暗のレヴェル(色価・ヴァルール)で〔対象を〕とらえる」というもの。(解説文より)背景もあまり緻密には描きこまず、ぼんやりと処理されています。それはまるで幻想のワンシーンのよう。ルドンっぽいわ、そういえば。。また、その画法により、平面でありながら大理石像のような印象も与えます。特にリトグラフにその雰囲気が強い。ロダンはカリエールを彫刻家だと評したそうですが、「石をえぐるように内面を描く姿勢」と、「彫刻のような画風」との双方を指していたんじゃないかしら。一方のロダンは、哲学的・抽象的なテーマを持ちながら、作っているのは具体的な人間の像。自ずと「肉体のかたち」は思想の「象徴」になってきます。ふーん、それが「象徴主義」ってワケか。ロダンの作品が「重たく」見えるのは、目に見える肉体だけではなくて内なる思想をも可視化しているからなのですね。と改めて認識。ちなみに、個人的に気になった作品もいくつか。『口づけ』……で良いのかな? 邦題は。仏題『Le Baiser』とされている一連の作品。確か複数バージョンあるはず。これ、生々しいんですよねぇー、なんだか!いかにも濡れ場っぽい生臭さが芬々としている。ブロンズ像なのに、、、。これは、やはり、「内面」まで描き出された結果だと思えば良いのでしょうか……?もいっこは『永遠の偶像』(仏題:L'éternelle idole)。これは作品自体が気になる前に、ボードレールの『讃歌(Hymne)』を思い出したんですけどね。もっと言うと、それを『弦楽セレナーデ』に載せて歌っているThe Eccentric Opera『Serenade』を思い出したんですけどね。A l'ange,a l'idole immortelle, (天使に、不滅の偶像に、)Salut en l'immortalité!(永遠に尽きぬ幸あれ!)(粟津則雄・訳)「永遠(不滅)の偶像」をモチーフとしているだけでなく、女性への礼讃が感じられるところも共通項。ボードレールの詩の方は対象の女性を「私の心を光で満たす」だの「私のよろこびと健康を作りあげる」だのまさに“讃歌”だし、ロダンの像の方も、男性が手を後ろ手に組んで女性の乳房の下にキスしている、という何や何やらサドマゾちっくな一品。同時代人だしな。この作品の前でだけ、私にとって「ロダンとカリエールとボードレール」の3人展でした。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword