2006/05/06 Category : Art 『憂国』(関連資料とその内容について) さて、『憂国』を鑑賞してきた訳だが。そもそも私は、三島由紀夫について真剣に研究した経験はない。ただ、私が好きな人たちの思想を探っていくと、三島由紀夫にたどりつく。先日、山本タカト大展覧会で購入した『夜想』にも「三島由紀夫/死の美学」という小特集が組まれていた。美輪明宏『愛の話 幸福の話』には、「わたしが愛した人々」と題する章に、三島由紀夫も名を連ねている。愛の話 幸福の話森村泰昌『芸術家Mのできるまで』にも、「三島由紀夫あるいは、駒場のマリリン」というコラムが寄せられている。芸術家Mのできるまでそれぞれの概要をここで紹介しておく。◆ 『夜想』小特集「三島由紀夫/死の美学」・ 『憂国』の演出を手掛けた堂本正樹のインタビュー「三島由紀夫と『切腹ごっこ』」・ 写真家、矢頭保が撮影した「三島由紀夫切腹演戯」のグラビア・ 詩人、高橋睦郎のインタビュー「三島由紀夫の切腹写真を撮った男、矢頭保の肖像」・ 矢頭保の紹介ページ「OTOKOの物憂げな闇――写真家・矢頭保の世界」以上の4企画から成る。堂本正樹は三島について、 「切腹と性欲が結びつく人でした」と述べている。美少年に見守られて成人男性が切腹する、という筋立ての『愛の処刑』についても言及されている。それを「桐の函に入った、世間向けの純文学として」書いたものが『憂国』であることも窺える。また、そのファンタジーを実行に移し、最期を遂げたことも。(ここから、三島にとっての切腹は政治的な意味合いより個人の性的嗜好としての意味合いが強かったと考えられる。それはまた別の記事で詳しく。)◆ 『愛の話 幸福の話』「わたしが愛した人々/最期まで美学を貫き通した人・三島由紀夫」三島由紀夫と美輪明宏の交友は余りにも有名だ。しかし、意外なことに 今もときどき考えるんです。 私と三島さんの関係はいったいなんだったんだろうって。と述べられている。そしてこう続く。 三島さんにとって私は、最期まで不思議な存在だったんだろうなと思います。 三島さんは官僚の家で育ち、文壇という虚飾の世界にまみれ、コンプレックスを抱えて生きていた。 私はそんなものと一切無縁でしたから。また、「大切なのは肉体だ」「いいえ、人間は心です」というやり取りになったとき、三島は「君と僕は同じくらいの審美眼を持っている。 君は鏡に自分を映した時にそれがかなえられるけど、僕はそうじゃない。」と言ったとも記されている。 そんな三島さんを見て、私はいつも悲しかった。 不遜な言い方ですが、かわいそうだと思っていました。 いくらないものねだりをしても、かなわないものはかなわない。 諦められればラクになるのに、それができない人でした。……この言葉こそが、三島という人間をそっくり言いえているのではとすら思える。もちろん、そのコンプレックスが数々の名作を生む原動力になったのであろうことも思いやられる。◆ 『芸術家Mのできるまで』「三島由紀夫あるいは、駒場のマリリン」森村は94年に東大の900番講堂であるパフォーマンスをした。マリリン・モンローに扮し、叫んだりスカートをめくって見せたりし、嵐のように教室を去ったようだ。ところで900番講堂というのは三島由紀夫が自決の1年前、左翼系学生と討論した場所だ。森村は三島由紀夫とマリリン・モンローを引き合わせるため、この900番講堂を選んだという。なぜ森村は両者を引き合わせようと思ったのか……。まず、森村は三島由紀夫に、明治天皇のエピソードを思い出すそうだ。両者とも幼少時、女性的な習い事をしていた。しかし成長してから「オトコ」になる。明治天皇は国家の象徴として、三島はボディビルなどで体を鍛えて。つまり、オトコに生まれ → オンナとして育ち → 再びオトコになる という性転換を繰り返している、と。そして明治天皇が軍服で民衆の前に現れたことは、「『日本』自体の性転換」をも意味しているのではないかと、森村は考察を続ける。つまり、受身的で弱々しい「オンナ」の国から、強く能動的な「オトコ」の国へという性転換だ。だがもし三島が「オンナ」から「オトコ」になった結果が「死」であったとすれば、日本も、「オンナ」から「オトコ」への転換によって得られるのはおなじ結果だろう、とも森村は述べる。三島はそれを承知の上で、自らの死と日本の死とを重ね合わせるために死を選んだのだろう、とも。 そういう意味では、三島由紀夫とは、遅れてやってきたために「死」を選ばざるをえなかった、もうひとりの明治天皇だったのかもしれない。そして考察は、マリリンへとつながっていく。 三島とは、日本を愛しそして愛する日本に殺された「オトコ」だった。 いっぽうマリリンはアメリカンドリームから生まれ、そしてアメリカンドリームによってズタズタにされた「オンナ」であった。 両者は反対向きにだが、しっかりとつながった似たもの同士ではないだろうか。これによって三島・マリリン・森村自身、ひいては日本が生き延びる道を示したと、森村は述べている。以上が、私が『憂国』鑑賞前に取り入れてあった予備知識だ。次の記事ではこれらを基に、私の三島由紀夫に関して思うところを述べさせていただきたいと思う。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword