2004/11/08 Category : Words コミュニケーションって 不用意に使ってしまっているけど、そういえば何なのだろうと立ち止まってしまった。コミュニケーション。意思疎通とかって無理矢理ニホンゴ訳されてたと思うけど。コミュニケーション。ここ数年のITうんちゃらで確実に変質してるよね、コミュニケーション。人と人との関わりあい方……。 変質してると同時に難化してるんだろうな。異常が発生してるからこそ気になるっていうタイプのものだと思う。普段意識してない体のパーツが、病気になった途端その存在を意識せざるを得なくなるのと同じってやつ。相手の本音を知るということ。が、課題なのだろうか。誰の? 現代人の。前近代? って言ったら語弊が出てくるかもしれないけど、とりあえず、人間が自分とか自我とかあんま意識しないで、共同体のパーツとして自己を認識していた時代。そういう社会環境では、コミュニケーションはかなり容易だよね。同じ共同体に所属しているなら、良し悪しの基準とか善悪の基準とか同じ(っていう前提)だから。でもここ数十年でなまじっか個人主義とかmeismとかいうものが横行して、隣は何をする人ぞ、隣は何を思う人ぞ、になっている。興味関心の分野も違えば、育てられる上で与えられてきた価値基準も違う。社会全体がリベラルになっているというか……。それに加えて階級差別がなくなったことになってるから、いろんなバックグラウンドの人たちが一緒に行動しなきゃいけない場面も増えてきてるだろうし。あと大きいのは国境が薄れたことだよね。国際化でコミュニケーションの難しさが露見して、みんながコミュニケーションというものについて考え始めた、という面もあるんじゃないかな。そそ、だから、生活圏カブって、お互いの顔と名前を把握して「お近付き」「知り合い」「友だち」になっても、相手の本音を知るというのがとても難しいと思う。「コミュニケーションのお作法」みたいなもの自体、人によってばらばらだからさ。私なんかはかなりストレートに考えてることを言っちゃうタイプなんだけど、それをみっともないとか、そうする必要は自分にはないと考えてる人たちもいるんだよね。で、わかりにくい変化球なセリフ投げてこられたり。だけど私のようにばか正直な人間は、相手もばか正直に本音を言っていると思って鵜呑みにしてしまう。とかね。本音を知ること自体は義務ではないんだろうけど……。やっぱ生活圏を共有してるなら不快感は持ってほしくないな、とか思うんですよ。私なんかはね。これもまたそう考えない人がいるから、気にする人が不快になったりするんだけど。本音に反した行動をするのって、やっぱある程度不快かな、って思うんですよね。これもまたひとつの価値基準であり全員に共有されるとは思いがたいけど。。。で、で、コミュニケーションとか人付き合いうんぬんで悩んでる人って、やっぱそこがネックになってるんじゃないかと。相手の本音を知る、自分の本音を伝えるってところで。あー、だから……。本音を出すまいとコミュニケーションしてる皆様、世の中にはこーやってあなたたちの一言一言に困惑し、悩んでる人たちがいるんですから、たまにはストレートにしゃべってくださいよ。ことばしか寄る辺がない。ことばに出してくれないと、わからない。信じられない。ことばの裏を読もうと思っても、根拠のない憶測に過ぎなくなってしまいそうで、やめてしまう。私の話だけどね、これは。どうも今日は歯切れが悪いですね。ぶっちゃけある特定の相手にこれを言えば気が済むんだろうと、書いてから気づいたし。私もバリバリワタシ中心主義の人間ですからね。あなたの顔が見えないコミュニケーション手段をとると、どうしてもこうなってしまうですよ。ごめんあそばせ。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword