2010/09/27 Category : TV 「ハーバード白熱教室@東京大学 日本で正義の話をしよう」のノートです(Lecture2) 「ハーバード白熱教室@東京大学 日本で正義の話をしよう」のノート、今度はLecture2。「我々が最も感情的になる」愛国心の問題。サンデル教授が選んだのは、その中でも戦争責任について。日本→東南アジア、あるいは米国→日本の。こちらもまとめは「議論をすることこそ民主主義の下で社会に貢献すること」となっていて、サンデル教授は「議論することの大切さ」を本国でも、今回日本でも教えてくださったんだなぁ、と。 以下は私の個人的な話。サンデル教授の授業を見ていて再認識したのは、私にはほんっとーーーーに共同体の意識が薄い、帰属意識がないなぁということなんですよね。なので戦争責任とかの議論を聞いていても「で?」みたいになってしまう。「え、私そんなん知らんし」って。戦争責任みたいなネガティブで大きなことだけじゃなくて、たとえば愛校心・愛学心みたいなのも薄くて(薄いんですよ、実は)「うちの高校ほんと大好き!」「うちの大学大好き!」みたいな友人もいるんですが、何でそんなに帰属しているところに対して愛着を示さねばならんのかなぁ、と思ってしまう。自分で選んだ高校・大学に対してもそうなんだから、いわんや自分で選んだわけじゃない家族・政治的共同体・信仰をや。たぶん第一にクリスチャンとして「日本国家ではなく神の国の一員」みたいに育てられたのが大きい……。政治的関心とか示すと怒られるんですよ。かと言って宗教的共同体(っていう言葉はないと思うけど、仮に)の居心地も悪くって、そこを捨てたのが大学のとき。大学にいた間とかはサークルとか大学とかに愛着を持とう、帰属意識を持とうみたいに努力してたし、あるいはそういう意識があるぜって振りをしてたんですけどそういうのってたぶん努力して持つものじゃないですし、どーしてもぼろが出てくるんですよね。まぁこれはふつうのことだと思うんですけど結果的に「人につく」ようになった。無理にサークルそのもの、バイト先そのものを好きになろうとするんじゃなく、たまたま出会ったのがサークル、バイト先だった人にいい人、自分と合う人ができて、その人らを好きでいればいいんじゃねーの、みたいになりましたね。大学5年目で周りの皆が卒業しちゃってからは余計に。んで、そのスタンスが結果的にラクで心理的にそういうスタンスを取り続けてきていたんですがサンデル教授の講義で「共同体について」みたいなテーマが取り上げられて、「帰属意識を持てないコンプレックス」「共同体の責任を感じられないコンプレックス」みたいなのが再び頭をもたげているのだな。日本国民としての自覚がないことは、あまりにも無責任なんじゃないか?みたいな危機意識のような。だけど危機意識抱いたところでそういう帰属意識が持てないのは経験済だしねぇ。まぁ、なので、私は議論に参加する/しない以前の問題のところに今まだ立っているのですよ。お目汚し失礼。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword