2004/12/19 Category : Today 紫のブロガー この日紫の毛皮買いき。取り置き頼めることひと月あまり、寒さきはまれば使はざればあらじとて受け取りき。されば彼の店に向かひたる道すがら、紫のばらなる髪飾り拾ひき。いとこそ美しければ、落としたるに申し訳なしとぞ思ひつつ、己が髪に差したること言ふまでもなし。かくしてこの日、双の紫なるもの手に入れつ。 かような名用ひたるゆえもあらむ、或は日ごろ紫の召し物多くまとひたるもあらむ、ひとの我を紫と拘らはすこといと多し。或は紫見れば我を思ひいだす。我の紫を愛づれば、かようなことこそ嬉しけれ。いかで我の斯くも紫を愛づらむや、我も知らず。されど思ふに、我の紫をば愛づるゆえ、紫が持ちたるしるしのゆえにやあらむ。いにしへの世にては、紫、やんごとなき際なるのみ許されたる色とぞ聞きたる。紫のありがたかればかように扱はれたれども、さればこそ紫のやんごとなきしるし持ちたり。或は紫のひとをば癒したる色なる。紫が光、ひとの心をばなごます長さ持ちたると。また聞きたるは、紫の葛藤が色なる。聞くに、紅の情熱が色なり、かつ、藍の冷静が色なるを。紅と藍混じりて紫生ず。されば紫の情熱と冷静共にて持ちたる。我この現か否か知らねど、うなづきたらむ心地こそすれ。我紅もまた愛でども、紅のいと明きは何をも思はせず。かような心地、おもしろからず、かつ心安からじ。何をも思ふなからむ、心安からじ。されど紫にありては見、かつ見れど、飽かず。明きと思へば暗きを見、美しきを見れば醜きを見つく。さやかならざる、いとゆかし。このひととせあまり、我の紫思ふこころ強うなりなれど、我の思ふところ易からずなると時を同じうす。或は我の紫が官能の色なるを知りてや。加へるに、紫、気ぐるひが好める色とぞ聞きたる。我の此れを知れば、我の気ぐるひなるを知らせむとぞ思はむ。※ よくわかる? 現代語訳 ※今日紫の毛皮を買った。お取り置きを頼んで一ヶ月以上、寒さが極まったので使わなければいられないだろうと受け取った。するとその(取り置きを頼んでいた)店に向かう途中、紫のばらである髪飾りを拾った。とても美しかったので、落とした人に申し訳ないと思いながらも、自分の髪に差したのは言うまでもない。こうして今日は、二つの紫のものを手に入れた。このような(村崎式子という)名(HN)を使っているという理由もあるだろう、あるいは普段から紫の服を多く着ているというのもあるのだろう、みんなが私を紫と関連付けることはとても多い。あるいは紫を見るといつも私を思い出す。私は紫が好きなので、そのようなことはとても嬉しい。どうして私がこんなにも紫を好きなのか、私も知らない。しかし思うに、私が紫を好きな理由は、紫が象徴しているものによるのではないだろうか。昔の世では、紫は、高貴な身分の人々だけが(着用を)許された色だと聞いたことがある。紫が珍しかったのでそのように扱われたのだろうが、それによって紫は高貴な印象を持っている。あるいは、紫は人々を癒す色である(とも聞いたことがある)。紫の光は、人の心理を和ませる長さ(の波長)を持っていると(聞いたことがある)。また聞いたことがあるのは、紫が葛藤の色である(ということだ)。聞いたところでは、赤が情熱の色で、そして青が冷静の色であるという。赤と青は混ざって紫を作り出す。だから紫は情熱と冷静を兼ね備えている(というのだ)。私はこれが本当なのかそうでないのか知らないが、うなずきたい気持ちになる。私は赤も好きだが、赤のとても明るいさまは何も連想させない。このような気分は、興味深くないし、しかも不安であろう。何も思うことがないというのは、不安であろう。しかし紫に関しては、見ても見ても、見飽きない。明るいと思うと暗いのが見え、美さを見れば醜さを見つける。はっきりしない状態というのは、とても心ひかれる。この一年ほど、私が紫を好む気持ちは強くなったのだが、(それは)私が考えることが単純ではなくなったのと同時である。あるいは私が紫が官能の色であるのを知っているからであろうか。付け加えておくと、紫は、狂人が好む色だと聞いている。私はこのことを知っているので、私が狂人なのを(周囲に)知らせようと思っているのだろう。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword