2005/06/20 Category : Social 母体保護法と人工妊娠中絶 アタマの整理も兼ねて一筆。 中絶の是非っていうのは、とかく人道とか後悔とか倫理とか道徳とか悲痛とかの観点から書かれがちだし、そっちのが大衆受けもいいんだろうけど、そこんとこ敢えて法律で斬ってみようよ、という企画。中絶に関する法律は大きいものが2つ。刑法の堕胎罪と、同じく刑法の母体保護法。つぅか、ここ見てもらうと早いわ。Wikipedia書く人ってどんな人なんだろうね。どうでもいいけど。「胎児にだって人権があるんだから殺しちゃダメ」ってする堕胎罪と、「でもやっぱ母体優先でしょ」ってする母体保護法のアンビバレント。で、現状を言えば、母体保護法第14条1項1号「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれがあるもの(下線:村崎)」っていうのが全ての中絶を許可する形になって、堕胎罪はないも同然。ただ村崎としては、そういう法律が残されてるってところに疑問を抱きたい。で、私がこれを問題視する理由ってのは、にわかフェミニズムのアレがあって、なんつーかミーハーでヤなんだけど、やっぱり「女性の決定権」ていうところです。中絶問題が膠着しちゃう原因って、そこだと思うのね。「胎児の生存権」vs「女性の決定権」。で、後者を優先すると非人道的だとか後ろ指さされるわけだ。自分でも自分に後ろ指さしちゃうわけだ。確かに人道とか倫理とか道徳とか、あとなんだ宗教観? から、「生きているものすべてに生きる権利がある」てセンチメンタルに言っても良いし、それは人間としてマトモな見方だと思いますよ。ホント、「是か否か」ってところで即座に「否」って答えない私は気違ってますさ。ただね、日本国憲法が定めるところの「人権」ってのは、国民としての義務を果たした上で与えられるもんなんだよね。「公共の福祉」を侵さない範囲で、って明文化してあるの。そこんとこ行って、胎児は義務を果たしているのかと。そして、むしろ産まれることによって「公共の福祉」を脅かしたりしかねないんじゃないかと。そう考えたとき、やっぱり産む/産まないの判断は女性自身が下すべきだし、その決定に対して、周囲も、その後の彼女自身も、とやかく言っちゃいけないんじゃないかと。で、理屈で考えればそうなのに、なぜ後ろ指さされる状況があるかってーと、社会的コンセンサスがそことズレてるからなんだよね、たぶん。日本国憲法に書かれているような「義務を果たした上での権利」っていうのをみんな意識せずに、「生きるものすべてに権利が」っていう方に認識している。だから女性の権利の方が優先されてしかるべきなのに、そう意識されていない。実際そう考えるほうが二項対立(国家vs個人)でラクだしね。でも国権っていうのは各個人の人権の集積なんだよ、念のため。あーねぶたいアタマで書いたからぐちゃぐちゃだわ。意見質問批判反論補充補填補足募集します。よろしく。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword