2005/05/12 Category : Social 殺人という事故 毎週木曜日は教職必修・道徳教育論の日なんだけど、その授業の先生がほんとーにすごいの。授業が全然形骸化してなくて、「『道徳の授業』の進め方」じゃなく「道徳の何たるか」からやってる。で、「人間は情念(気分)を意志でコントロールできるものであり、道徳はそのコントロールを各自に自分で行わせるもの」みたいな話に、今なってる。もう、小中学校のつっまんない偽善的な「アレ」は何だったのだろうと、義務教育修了6年目にして開眼しているのですが。 で、先生のその理論で行くと、殺人事件とか起こしちゃう人は、その「情念をセーブする力」が足りなかったわけ。「茫然自失」の「自失」って言ってたな。意志を持たない「もの」になっちゃうんだって。それで、今私にとって最も身近な殺人事件(…)・阿部定事件を思い浮かべた訳なんだけど、彼女も本当に余裕がなくなっていたと言うか、気分に流されてしまっていて、客観性を失っていたのだろうなぁと。恋しい、恋しい、独占したい、が高じていて、その上それをセーブするだけの強い意志を持ってなくて、それで「殺すしかない」に辿りついちゃったのかなぁって。どっちにしても、彼女には同情せざるを得ないんだけど、今度は「同類相憐れむ」じゃなくて。そして、先生の話に戻れば、殺人事件も事故と言って良いかもしれないのだと。って言うのは、未然に防ぎえたかもしれないから。殺人するために生まれてきた魂なんてないって考えれば、それはその通りな訳で。それと同時に、いつ何時当事者になるかわからないっていう点でも、事故なのかな、とちょっと思ってしまった。私もいつか自失して、誰かを殺してしまうかもしれない。つて。そして私は割に「情念」に流されやすいたちで、もうそれこそ頻繁に感情的になったり理性喪失してるから、「事故りやすい」状態なんじゃないかな、と。で、ま、だから、来たるべき日が来ないようにするために、意志を鍛えておこう、と思った次第なのです。とりあえず『方法序説』読み始めたよ。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword