2008/12/14 Category : Books 幸田文『木』とNHK『ブラタモリ』 ナウシカも少し 木 (新潮文庫)一寸ご無沙汰を致しましたが、意外と元気です。幸田文の『木』を読了したはいいものの、スバラシキことbeyond my descriptionで、文章に起こせずにおりました。なんというか、幸田文の文章を読んだあとで手ずからことばを綴る愚かしさよ、なんて思ってしまう。まぁぶっちゃけ書かんくてもいーか、と思ったりも。私の中の『木』は、私だけのものだし。それでも気が変わってここに書くのは、 ゆうべ★NHK『ブラタモリ』を観たから。タモさんが明治神宮~表参道交差点までのエリアを、街の歴史(ひいては東京、ひいては日本の歴史)の痕跡をなぞりながら歩くという、知的エンターテイメント番組。(タモリさんを据える番組は、どうもこういう冠を付けたがるように思う)いま明治神宮のある場所は、元々草原だった。そこを神社にするために、森が必要になった。大正時代の学者たちが、100年後まで構想して造り上げた人口の森、それが明治神宮の森。威厳を持って見せるため、はじめに針葉樹の成木が植えられた。とはいえ、東京の気候・土になじむのは広葉樹。だから針葉樹の根元に広葉樹の苗を植え、針葉樹が枯れる前に広葉樹の森が出来上がるようにした。カメラは「森」に向けられる。倒れた巨木。「倒れた木も、新しい木の養分になるんですね」同じこと。幸田文が『木』の中で書いていたのと。『木』は幸田文の遺作となった本だ。災害で打撃を受けた木(森)、木材としていのちを全うする木……。死の気配は、全体に濃厚だ。木を訪れる幸田文自身も、自らの老い・死の予感を「この歳になると『またいつか』が来ないかもしれない」というような内容で、ダイレクトに書く。そして、急かれるようにして日本中を訪ね歩く。しかし『木』の読後感はすっきりとしていて、明るい。これはけして幸田文の文体がすっきりと明瞭だからというだけの理由ではない。幸田文は森の中に見る。「再生」「次の世代」を。そしてそれを、自ら亡き後にも重ね合わせている、おそらく。明治神宮の森は、人口の森。それでもその中で、幸田文が訪ねたあらぶる野生林と同じ「世代交代」が着実に行なわれていることを知り、なんだかじんと来た。ってこれ、森の役目とその仕組みを悟ったナウシカがじんとしてるみたいだなぁ。原作を読まれたことの無い方のために解説すると、映画化されていないエピソードで、腐海も蟲も毒に侵された大地を浄化するために人間が造り出したものだっていうことが判明するんです。宮崎駿は「たとえ人の手になるものだとしても、命の重さは同じ」ってこともあの作品で言っているんだなぁ。……そんな、幸田文とナウシカと私とタモさんと、でした。タモリのTOKYO坂道美学入門ワイド版 風の谷のナウシカ7巻セット「トルメキア戦役バージョン」 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword