2008/02/24 Category : Books 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』本谷有希子 腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫 も 48-1)表紙に山本直樹を起用するだけでもアレなのにこの次に出したやつが瀧波ユカリって、そらあんたえらいもんだぞと。ただものではないぞと。思いつつも、映画化されたよーな「メジャーな」本を読む私というのは私的にいけすかなくて、けっきょく今の今までビレバンでもスルーしてた本。人がふだん「ふた」をしているクサいものを容赦なく引きずり出す人なんだ……と思った。まぁそれやるのが作家の仕事なんだろうけど。田舎の人間の、「浮いた人」を見る目。自分をかっこいいと思い込んでいる「田舎じゃそこそこかっこいい部類」のお兄ちゃん。気を遣っていると口に出しながらぜんぜん気が利かないおばちゃん。あぁ、いるいる……あるある……。言いたかったことぜんぶ、本谷有希子が言ってくれてスッキリする。でもその「言いたかったこと」は 自分にも向かって突き刺さってくる。主人公は「自分は特別だ」と思い込んでいる女優志望の女性。とても滑稽に、グロテクスに描かれているけれど、これは現代人すべての戯画。その主人公を「客観」する妹は、本谷有希子自身の似姿なんだと思った。妹は、主人公を「告発」するまんがを描いて、主人公を激怒させた過去がある。「どうしてお姉ちゃん、帰って来ちゃったの? 駄目だよ、帰ってきちゃ! そんなにおもしろいのに 私の前に戻って来ちゃ駄目じゃない……!」ワイドショーの下劣さとか、パパラッチ云々の問題とか、ほんとこの一言に尽きちゃう気がする。「おもしろがっちゃだめだって わかっているけどおもしろい」。この残酷さ。そんな感じで、話は楽しめました。文体も読みやすく(さすが脚本家)、1日とちょっとで読み終えました。エンディングの租借だけは間に合っていませんが。視覚的描写の多さとか、一人称の主体とか切り替わる技法は、舞台的だなと思った。予備知識があったからかもしれないけど、私の頭の中では舞台装置で再生されていました。と思ったらあとがきで高橋源一郎が「劇作家が書いた小説」とは違うみたいなことを言っていて、ちょwww 俺の立場wwwwwwと思った。映画版はこちら↓腑抜けども、悲しみの愛を見せろ次はこれを読もう遭難、 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword