2008/01/18 Category : Art 「工芸の力―21世紀の展望」於東京国立近代美術館 工芸館 初・工芸館なんとなく「工芸」って黴臭いイメージで、行かずじまいだった。。。イヤ、四谷シモンとか展示してたの、知ってたけどね。。。でも「21世紀の展望」なんてタイトルに入れられたら、見に行かざるを得ない。「アートは生きるヒント」というモットーに反することはできない。あ、初めて言ったけどね、このモットー。いあ、おもろい作品ばっかし!試みとして、いずれも高く評価したい。しかも造形的にも美しいものばかり。ショックだったのは、 つづきはこちら [0回]PR
2008/01/18 Category : Art 「わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者」於国立近代美術館 ★国立近代美術館Webサイト★澤田知子が来ると聞いて。インターネットなどによるコミュニケーション形態の急速な変化によって、「自己」も「他者」も捉えがたいものとなっているのではないか?私たちは「自己」をどのように見、「他者」をどのように見ているのか?そんな問いを突きつけられる、アイデンティティー揺さぶり展。浮かび上がってくるのは、「自己」には他者の視線が、「他者」には自己の視線が、構成要素として含まれていること。「完全なる他者」が存在しないのと同様、「完全なる自己」もまた、存在しない。 つづきはこちら [0回]
2008/01/12 Category : Plays 『世界でいちばん俺が好き!』開幕ペナントレース 於下北沢OFF・OFFシアター ★開幕ペナントレースWebサイト演劇やってる友人に波田野淳紘(劇団820製作所)ってのがいまして、彼が客演するというので行ってきた。波多野の演劇は割と詩的というか、台詞で空白の空間に世界を織り上げる!みたいな色合いが強いのですが、開幕ペナントレースさんは真逆。なんかね、「マッスルミュージカルを 7人でやってみた!!」みたいな感じなの。カラダ張るって、こうやるんだ……っていうか。明らかに負担掛かる中腰とか、空気椅子的な姿勢とかで「お前らの肉体はここに現存する!!」って怒鳴りつけられてる感じ。あぁ、とりあえず暑苦しいんだ。(注:褒めてます)なんというか、最後に肉体は勝つ!みたいな圧倒的な感慨を抱きましたね。あの、なかやまきんに君からこっち、HGとか小島よしお(OB)とか、筋肉系芸人が絶えないじゃないですか。それってだから、そういうことなんだと思います。そういうことなんじゃないかと思わされる、舞台でした。 [0回]
2008/01/11 Category : Art 「荒ぶる神々の黄昏/なにものかへのレクイエム・其の弐」森村泰昌 ★シュウゴアーツWebサイト森村泰昌さんの新作展です。自分の作品を「愛だ」と言い続けてきた森村氏。今回「愛のまなざし」を注がれたのはチェ・ゲバラ、毛沢東、アインシュタインなど「20世紀に活躍したけれど、 なんらかの理由で浮かばれなかった人」。女優のように「美しいもの」として「観賞」されることはありませんが、彼らの顔もまた、何らかのレッテルを重ね貼りされながら「見られて」きました。その中に潜り込んで、彼らがいかに「見られて」きたかを追体験すること。恐らく、世間の風評は厳しかったと思います。その辛さを、彼らの身になって理解すること、それが森村氏が21世紀のためにやりたいと述べる「地鎮祭」なのではないか……というようなことを、先日再提出した卒論に書きました、ワタクシ(;._.)何度メール送っても教授が返事くれないのだが。怒らせたか?森村氏のスタンスとしてはそんな風に解釈しているのですけれど、展示に関しては、「ちょっと喋りすぎかな?」と思った。 つづきはこちら [0回]
2008/01/09 Category : Books 『豊穣の海(二) 奔馬』三島由紀夫 あぁ、もうただ一言、なんと疲れる小説か( ´・ω・)前世(『春の雪』)では文化系美少年だった主人公が、転生した『奔馬』では右翼テロリストになっておるのです( ´・ω・)皇国を腐敗させる官僚や実業家を殺して自分たちも死ぬ、って決心してるんですね、当然ハラキリですよ割腹ですよでも周りの大人たちは、彼を思いとどまらせんという老婆心ではあるのですが、彼の理想を踏みにじる訳ですよ、結果としてとはいえ書き手である三島は主人公の理想の「崇高さ」をあくまでも書き続け、物語の結末でそれを果たさせ、そして第四部を書き終えた後自分でも実行するんです。という一連の流れを追うとだな、あぁなんと文学的な、あまりにも文学的な中二病( ´・ω・)日本が置き忘れてきた大変なものを三島は一人で負わなきゃと感じ、それを果たすのに死を以てするしかないと思い至ったとしたら( ´・ω・)彼にしてみれば私たちは彼のあがないの上にあんのんと暮らしていることになるのではないのか( ´・ω・)あれは「もはや暑苦しい者に味方はいない」というのを示す事件で「もう暑苦しくなくていい」ということを逆説的に示してしまったのでは?もし日本が国として軸がぶれていると思うなら、彼の死に思いを馳せることがその理由を考えるヒントになるかもしれない別に行動主義や懐古主義に走るってハナシじゃなくね( ´・ω・)なんてことを今は思う( ´・ω・)とりあえずニコニコ組曲Jver.の動画観て平静を取り戻した。ごめんキミタケ、漏れ80年代生まれなんだ( ´・ω・) [0回]