忍者ブログ

紫式子日記

Home > ブログ > 記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【卒論】準備レポートから(1)「見る―見られる」


森村泰昌の言ってることって、対立するものを解消しようってことなんだよなぁと仮にまとめてみる。

それらの中でも、基盤になるのは「見る―見られる」の対立と、その解消をする「見つめる」。

そこに気づいて、題目を「美術家Mのまなざし」と改めました。



「視線」ってのは森村泰昌云々も含めて、私の好きなキーワードなんだよね。

二村監督の講演然り、『ヌードのポリティクス』(読み返さなきゃ)然り。



以下、担当教諭に提出したレポートから抜粋。



*     *     *

 森村は「見る―見られる」という「視線の力学」において、「見られる」対象が「見る」主体を「見返す」という状況が生じ、結果として対立が生まれる可能性を示す。

 「見返す」ということに関して引用されるものに、美術史家ノーマン・ブライソン氏の論考 がある。ブライソンは『肖像(双子)』(森村、1988)を、非西洋(=森村)が西洋を、かつ「オンナ」(=女装した森村)が「オトコ」を見返している点で、「美術史において視線の力学の再編成を試みている作品」と評価している。

(※注:『肖像(双子)』のベースとなっている『オランピア』(マネ)も、発表当時、ヌードの女性が堂々と鑑賞者を「見返して」いる点で物議を醸した。ブライソンはその点からも着想を得ているだろう。)



 「見る−見返す」の対立が招いた悲惨な結末として例に挙げられるのがマリリン・モンローである。森村は彼女の死を「『女優=女=男に見られる存在』という、映画と二十世紀文化における暗黙の了解に対する拒否」 であり、「二十世紀文化を相手に刺し違えた壮絶な死」 であるとしている。

 森村はマリリン・モンローの例から、「見る−見返す」の招く結果は破滅であると考え、その対立を是としない。そしてその破滅を避けるために、いずれとも異なる視線「見つめる」を提案する。



*     *     *

拍手[0回]

PR

エロスの蒐集 〜21世紀のアダルトビデオの歴史と発展、そして「萌え」と性欲について〜


二村ヒトシさんという高名なAV監督がいらっしゃるのですがね。

(※リンク先18禁注意)

その方が10月10日の火曜日、慶応の 「蒐集の科学II」という授業で、ゲスト講師として講義をなさったのですよ。

汗ばむくらいの陽気の中、拝聴しに行きました。



(※以下、エロ内容注意)

拍手[1回]

【卒論】構成案を組みました


あわよくばアドバイス・ご指摘いただけたらと企みつつメモ。

題目は「芸術家Mから見た現代日本(仮)」



【第1章】 森村泰昌プロフィール

a.技法

 −扮装(女装)

 −写真

 −セルフポートレート

 ※シンディ・シャーマンとの比較


b.題材・作品

−セルフポートレート以前(〜1985)

−「西洋美術史」シリーズ(1985〜)

−「フリーダ・カーロ」シリーズ(2001)

−「フェルメール」シリーズ(2004)

−「ロス・ヌエボス・カプリチョス(ゴヤ『ロス・カプリチョス』)」シリーズ(2005)

−その他(ゴッホ、マネ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、等)

−「日本美術史」シリーズ(1990、1996)

−「サイコボーグ(ポップスター)」シリーズ(1994)

−「女優」シリーズ(1996)

−「なにものかへのレクイエム(20世紀的なるもの/男たち)」シリーズ(2006)


c.著書

『美術の解剖学講義』1996年、平凡社

『芸術家Mのできるまで』1998年、筑摩書房

『踏みはずす美術史 私がモナ・リザになったわけ』1998年、講談社

『空想主義的芸術家宣言』2000年、岩波書店

『「まあ、ええがな」のこころ』2001年、淡交社

『女優家M 演技の花道』2002年、晶文社

『「変わり目」考 芸術家Mの社会見学』2003年、晶文社

『時を駆ける美術・芸術家Mの空想ギャラリー』2005年、光文社


d.図録・作品集

『着せかえ人間第1号』1994年、小学館

『レンブラントの部屋』1994年、原美術館 編、新潮社

『美に至る病─女優になった』1996年、横浜美術館

『森村泰昌[空装美術館]絵画になった私』1998年4月、朝日新聞社

『女優家Mの物語 a Story of M's self-portraits』2001年、朝日新聞社

『私の中のフリーダ/森村泰昌のセルフポートレイト』2001年、原美術館

『DAUGHTER OF ART HISTORY』2003年、APERTURE(米)

『LOS NUEVOS CAPRCHOS』2005年、SHUGOARTS他

『卓上のバルコネグロ』2006年、青幻舎


e.雑誌

『超・美術鑑賞術―見ることの突飛ズム』2002年、NHK出版

『プリンツ21 2005年春号 森村泰昌 諷刺家伝』2005年、プリンツ21




【第2章】 森村泰昌の思想・学説(カテゴリーは暫定)


拍手[0回]

2周年


10月7日過ぎちゃったよ。

先代の「村崎式子日記」とあわせて、2周年です。

去年のログとか見ていて、

「あれーこの展示もう1年前なんだー」

という感じ。

そしてその当時、それを見聞きしてすぐの印象を書き留めておいてよかったな、とも思う。

これからも似非ナレド文化人、のつもりで素直に思ったところをつづっていきたいと思います。

どうか今後ともよろしくお付き合いのほどを。



とりあえず「読んだり見たりしたらすぐに書く」ってのを習慣づけなきゃな

やまだないと『西荻カメラ』『ビューティフル・ワールド』読んだけど書いてないや

拍手[0回]

【卒論】題目決まりました


そうそう、

忘れられがちな事実。

紫式子、大学4年生。

就職は一先ず決まりました。

次は卒論です。

題目、春から右往左往して、結局いちばん好きなところに収まることに決めました。

森村泰昌さんについてやります。

どういった見方で、どういった切り口でというのは追々決めますが、

ひとまずは「森村泰昌総論」作りからです。

というわけでそれ関係のエントリが増えるかと思いますが、

TB・コメントで情報提供などいただければ幸いです。

よろしくお見守りください。

拍手[0回]

PAGE TOP