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紫式子日記

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『猫本(ねこもと)』


猫本(ねこもと)
猫本(ねこもと)



猫をテーマにしたコミック・アンソロジー。

やまだないとも参加してるんだけど、単行本未収録作品だと気づいて慌てて買った。

『江古田ちゃん』の瀧波ユカリとやまだないとが読めればいっかー とか思ってたけど、他の作品も高品質で焦った。



編集部投票による北道正幸『プ〜ねこ』セレクションは面白いんだけど、上位の作品は締め切りモノ・言語センスモノに集中していて、ちょっと内輪ノリのにおい。

萩尾望都はやっぱエロかった。

瀧波ユカリは4コマなんだけど、最後のやつが泣ける。

山下和美はちゃんとネコを見てる! ってのが伝わる。

横を向いて寝てる柳沢教授の上に乗るところとか……そうそう、ナゼか細いところに座り込むんだよねって……。

松田洋子の味わい深い方言の台詞と、昭和っぽい絵のタッチはクセになりそう。

横山キムチのネコは、体のラインがエロい。

おシリとか、ちくびとか。「ルンルン体操」に吹いた。

諸星大二郎の「ニャン猫六先生」は上手い。

パロディを、しかも猫でなんて!!

でもやっぱいちばんの収穫は『ホワッツマイケル?』の小林まことのインタビューかな。



でもやっぱり、やまだないとの作品に漂う哀愁とか切なさはいいなぁって思うのです。

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早坂 隆『世界の日本人ジョーク集』


Defference is interesting.



世界の日本人ジョーク集
世界の日本人ジョーク集



私がエスニック・ジョークという語を初めて目にしたのは『ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ』っていう本で、確か中学生のとき読んだものなんだけど。

で、驚愕の事実ってのが、この本を捨てずに未だ取ってあるってことなのよね。

そのくらい、国民性・エスニシティ間の差異ってのは私の興味を引き続けてやまないものなのですねといまさら認識。



で、1月とかに出た本だったと思うのですが、いまさら読みました。

ジョーク自体はいわゆる「エスプリ」もので、爆笑っていうよりニヤリ笑いなんですけれども。

それよりも、ジョークにまつわる著者の解説のが面白いです。

特に日本の国際的立場(技術面・経済面)の上下により、世界でささやかれるエスニック・ジョークも変わってきているってのは、いわれりゃ当たり前だけどやっぱおもろかったです。



個人的に好きだったのは96ページの無人島ジョーク、ロシア人が特に。

あと44ページとかね……あ、確かにそう見えるね、って……。

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石田衣良『恋は、あなたのすべてじゃない』


恋は、あなたのすべてじゃない
恋は、あなたのすべてじゃない



本屋で思わず立ち読みしてしまったのでメモ。

さわりだけ見た感じ、『空は、今日も、青いか?』のパート?をさらに詳しくしたものっぽい。

「恋を薄くして、人生を厚くしてみる。

 そうすれば恋も厚みを増すんじゃないでしょうか」

みたいなテーマ。

悔しいから買いません。

いや、卒論進んでないし。



本屋チェック最近怠ってたー

こんなのも出してたのね



美丘
美丘




「ミオカ」って確か短篇集かアンソロジーに載ってた記憶があるけど、気のせい?

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角田光代『消えない光』




プラチナ・ギルド・インターナショナルWebサイトのコンテンツ「プラチナ・スペシャル・ストーリー」を角田光代が書き下ろしているのですね。

結婚しようと決意したのに彼女の親に猛反発されるカップルと、あまりにも上手くいきすぎて離婚に至ったカップルの話が、交互に進行していきます。

なんかこう、ね、

やっぱやさしいよね、

角田光代の書く人物って。

ジーンときて、

「あ、やばいやばい」

って感じです。

まだ完結していませんが、皆さんもお読みになってみて。

営業広告の一環だとわかっていても、いいものはいいのです。

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マドンナ『ウルトラ・マドンナ~グレイテスト・ヒッツ』『グレイテスト・ヒッツ VOL.2』


ウルトラ・マドンナ~グレイテスト・ヒッツ
ウルトラ・マドンナ~グレイテスト・ヒッツ



グレイテスト・ヒッツ VOL.2
グレイテスト・ヒッツ VOL.2


まだ聴いてる途中なんだけど、それぞれのさわりを聴いて

「マドンナの音楽は『マドンナらしくある』のではなく、『ミュージック・シーンの先端』なのだな」

と思った。

アルバムごとにプロデューサーを変え、曲調をがらりと変えるというのは聴いていたけれど、ここまでとは思わなかった。

マドンナの楽曲を追うだけでミュージック・シーンの歴史を追えるのではないだろうか。



マドンナ真実の言葉
マドンナ真実の言葉



『マドンナ 真実の言葉』というマドンナ語録があるのだけれど、後輩の子がマドンナ好きというので立ち読みだけした。

そのとき読んだ

「マリリン・モンローは被害者だった。でも、私は違う」

という言葉を思い出す。

マリリンのように、消費物とされないために。

被害者とならないために、マドンナは戦い続けてみせているのだろうか。



知の技法―東京大学教養学部「基礎演習」テキスト
知の技法―東京大学教養学部「基礎演習」テキスト



私がマドンナという人を初めて見たのは高校の図書館にあった『知の技法』で(レコード屋でなく図書館だったというのがいかにもで泣ける)、そこには彼女のヌード写真集について書かれていた。

内容はトンと憶えていないのだけれど、図版として載せられていていたサイボーグのような彼女の肉体を思い出す。

鍛え抜かれた筋肉は、欲情を催させることを目的とはしていないように見えた。

あれは、消費物とされた「女性」……マリリンに集約される……を代表しての、マドンナなりの復讐ということになろうか。



SEX by MADONNA―マドンナ写真集
SEX by MADONNA―マドンナ写真集



森村泰昌が『サイコボーグ』シリーズと題してマドンナに扮していたのも、そういう経緯があったのかな。

などと、遅めのマドンナ覚醒を果たした私は思っている。

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