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紫式子日記

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『哀しみのベラドンナ』


『哀しみのベラドンナ』ポレポレ東中野

もっかい観にいった。

あらためて観るととことんフェミ映画。



主人公ジャンヌは

「女」ゆえに政治体制に傷つけられ、犯される。

愛する夫を想って悪魔に身を売っても、

夫に虐げられ、あげく裏切られる。



けれど、貧しい農民・特に女性は、

「魔女」の能力を必要とし、

ジャンヌは強い影響力を持つようになる。



最後には悪魔との誓いを破り、

夫への真の愛の中で死んでいくっていう

生き様もカッコいい。



Girls,Stand Up!



虫プロ・アニメラマ DVD-BOX (千夜一夜物語 / クレオパトラ / 哀しみのベラドンナ)
虫プロ・アニメラマ DVD-BOX (千夜一夜物語 / クレオパトラ / 哀しみのベラドンナ)




このつながりで読んだ本。

内容はまあまあだったけど、ちょっと尻切れトンボ。



魔女と聖女―ヨーロッパ中・近世の女たち
魔女と聖女―ヨーロッパ中・近世の女たち




あとテヅカで魔女っていったらコレだよね



ばるぼら (上)
ばるぼら (上)


ばるぼら (下)
ばるぼら (下)


これはテヅカなりの「芸術論」になってるのかな

再読したくなっちゃった

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「球体写真二元論:細江英公の世界」展


「写真とは被写体と写真家の

関係の芸術である」


細江英公



写真家・細江英公の世界―球体写真二元論
写真家・細江英公の世界―球体写真二元論


東京都写真美術館で開催中の「球体写真二元論:細江英公の世界」展に行ってきたよのさ。



来ようと思ったきっかけは森村泰昌で、彼が細江氏の『薔薇刑』をベースに

三島に扮した『薔薇刑の彼方へ』ってシリーズを観ていたから。

プラス、DUEカードで使われていた「おとこと女 #15」にガツンとやられ、

参詣を決めました。



実は写真美術館はじめて。

森村泰昌を好きじゃなかったら来なかったかもしれないなぁ……

なんて思うと、縁って不思議。出会いって不思議。



しかも本日4日、13:00〜の学芸員解説を聴いてきました!



まずは今回の展示方法について。

写真集別の展示をしています。

各ブースの中央には展示作品を収録した写真集が置かれ、

壁はブースごとのイメージカラーで塗りわけられています。

ブースはすべて中央のフロアに直接つながっていて、

その中央に立てば全ブースをぐるり、見回すことができます。

そうすることで細江作品の「多様性」ならびに

それらすべてが細江英公であるという「統合性」を表現したかったのだとか。



展示は『おとこと女』シリーズから始まります。



◎『おとこと女』1961 〜性のドキュメント〜



美的対象としての「ヌード」も、欲情を駆り立てるための「ポルノグラフィ」も

すでに存在していたけれど、これはどちらともちがう……

これは「性」をとりあげた最初の表現だ、というのがコンセプト。



接写したり、動的なポーズをとらせたりして撮られた作品は、

なるほど「肉体」に誠実に、実直に向き合っていることが感じられます。

肉体の荒々しさを強調するため、

わざと粒子は粗く、コントラストは強くされています。



ですがラストの作品は、男性が胸元に

そっと文鳥とインコを抱きしめている繊細な写真。

その「繊細さ」こそが、一見スキャンダラスな細江作品にひそむ

根源的なファクターではないのか、というのが今回の展示の解釈です。



また、男性モデルとなった舞踏家・土方巽と細江は、

これ以降、土方の死に至るまで互いに不可欠な存在でありつづけます。



(※『おとこと女』はこの展示にあわせて復刊され、ナディッフ系列の書店で購入できます。)





◎『薔薇刑』1963 〜三島由紀夫に関するドキュメント〜



Ba-ra-kei: Ordeal by Roses

バロックな背景、名画とのコラージュ、突飛な小物から

ともすれば「前衛的」「スキャンダラス」という印象ばかりを

受けてしまいそうな『薔薇刑』。

ですが撮影場所は三島邸、コラージュされた名画も

三島所有の画集からのコピー、小物も三島邸のもの。

つまりこれはシュールレアリスム的表現というより

「三島由紀夫のモンタージュ」といえそう。



頭部が時計におきかわった写真なんか、ダリっぽくっておもろいなぁ

なんて思っていたのですけれど、学芸員さんの解説を聞いて

「面白さ」に奥行きが増しました。



あとこれは三島のほうから「撮ってくれ」ってオファーした写真集らしいね

『おとこと女』で見せた重量感・質感ゆたかな肉体表現に理想を見出したんだろうな






◎『鎌鼬』1969 〜記憶のドキュメント〜



鎌鼬

東京生まれ・東京育ちの細江が、戦時中、

母親の実家である米沢に疎開した際出会った

「日本の風景」を写し出したのではないか、という

『鎌鼬』シリーズ。


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劇団四季『鹿鳴館』




えへへ。

いっちゃった。

いってきちゃった。

「劇団四季」、しかも三島由紀夫原作『鹿鳴館』!!



ストレートプレイ自体初めてだったのですが、イヤ大当たりな初・体・験と相成ってしまいました。



力の入れようがひとまずスゴい。

演出・浅利慶太ってところから始まって

主人公・朝子は浅利慶太の奥様である野村玲子、

浅子の夫である影山男爵役は「劇団四季」創設メンバーの日下武史!

特に久雄と一対一で話す場面以降、野村玲子の演技に

表情の輝きや台詞の熱が増していくさまは、目を見張るほど。

重鎮の異彩を放っていたのは日下武史で、

些細な点かもしれませんが「笑い方がちがう」。

堂に入った演技は、ナルホドサスガでした。

衣装は森英恵、フラワーアレンジは假屋崎省吾と、

スタッフも手抜かりありません、御前。



そしてなんたってストーリーがスゴい。

「台詞の緊張感を欠いたらただのメロドラマ」

なんて解説にはあるけれど、

三島が陥り、最後はその中で破滅を迎えた

「洋の東西」「男女の別」「公と私」

という対立要素の相克とストーリーを重ね合わせれば、

それらの輻輳がおもしろくってしょーがない。

そこに「子殺し」「親殺し」、「仮面夫婦」といった

三島個人のこだわり要素まで絡んできて、

それを考え始めたらホントもーおなかいっぱい。



脚本としても秀逸で、台詞が明快的確。

パンフレットの「あらすじ」で想像していたより

ずっと理解しやすかったです。

そして何より浅利慶太が力を入れたという

「台詞の緊張感」。

いまや本の中にしか存在しない

「雅文体」ですが、あくまでも耽美で、

あくまでも壮麗な舞台の上では、

麗しい輝きを持って私たちの耳を潤したのでした。



作品だけでなく、三島に関する論考も寄せられたパンフレットは、必見。

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『ゴッドファーザー』シリーズ3本立て




今年もよろしくお願いします、

ってなわけで、元日から「初映画」を

ぶちかましてきたんだけれども。



早稲田松竹にて、

『ゴッドファーザー』シリーズ3本立てってアナタ。

しかも毎月1日は映画の日だから安いよおかあさん800円で3本立てだよ



『ゴッドファーザー』ってのは観たことなかったんですが、

イヤほんとにドンパチやってますね。

銃撃したり爆破したり、視察したり暗殺したり大変です。



でも主題はきっとちがう。ぜったいちがう。

たぶんだいじなのは信頼と裏切りと愛。




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マッハで今年を振り返る 〜美術編〜


今年の反省事項は、ぜんぜん美術館に行けなかったことですね。。。



それでも印象深い展示を挙げれば、エルンスト・バルラハ展「ばらばらになった身体」展ですね。

いずれも小さなものでしたが、静謐な雰囲気が好きでした。



cow paradeも燃えましたね。

結局フルコンプしてないけど、いろんな人からTBがあって、

「みんな楽しんでるなぁ」

ってのがわかった。

丸の内オアゾあたりの近未来的な町並みとのマッチも、

歴史ある建物とのミスマッチも、両方味があった。



あとアート絡みで個人的一大事だったのは、森村泰昌さんを卒論で取り上げさせていただいたこと!

「相反する二つのものを仲介する」巫女のような存在、という視点から書かせていただきました。

それはそのまま私が好きな要素であったことにも気づき、

自分の人生の、あるイミひとくぎりとなりました。とりあえず。

パフォーマンスを観にいけたのも、すてきな思い出です。



芸術家Mのできるまで 踏みはずす美術史―私がモナ・リザになったわけ 美術の解剖学講義 空想主義的芸術家宣言



「相反する二つのものの融合」という点で、いま個人的に追っているのがゴシック文化。

その楽しさに気づかせてくれたのは『ゴシックとは何か』でした。

里子に出す予定の『テクノ・ゴシック』も、読めるだけ読むつもり。



ゴシックとは何か―大聖堂の精神史 テクノゴシック

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