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紫式子日記

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「ピカソ展 躰とエロス」

現代美術展1件目は「ピカソ展 躰とエロス」

初・ピカソソロ展示だったので、けっこう気合入れて行ったのですが……
ぶっちゃけていい?



あんま、おもしろくなかった



いゃーね、ピカソってやっぱ「変遷」が大事な画家だと思うんですよ。

だから、どうせやるなら初期の、アカデミックで繊細な絵から、様々な画風を渡り歩いた時期を経て、晩年のピカソらしさが定着してきた作品まで、ざーって一望できるのを観たかった。

だけど今回のは、

?シュールレアリズムに出会って、「かたちへの冒涜」を試み始める

?マリー=テレーズに出会ってエロティシズムを明確に描くようになる

という2段階しか展示されてなかったような……。



ま、考えてみればお題がそもそも「躰とエロス」ですからね。

そこに絞られていなければ、展示として散在してしまったんだろうけど。

だけど私みたいにピカソの変遷を観たーい、ピカソの全体像を把握しておきたーい、って初心者には向かないエキシビジョンだったかなぁ。



あ、でもやっぱ「躰とエロス」に話を絞れば、見所はありましたね。

今まで見たことなかった、自分とマリーをラファエロとその恋人に見立てた連作とか。

すごいのね、似たような題材も、描けば描くほど交接部分が緻密になっていく。

「こっんのエロジジイが〜」とかってニヤニヤしてきましたが。

描いても描いても描きたりなかったんでしょうかね。

30年代の、人物の形態が歪めに歪められてる作品なんか、性器と乳房と四肢だけの生物になりたがってるように見えました。



あと、闘牛orミノタウロスシリーズ。

あーれもすごいね。

ピカソって生まれつき激情的な性格だったのかもしらんけど、闘牛の国で生まれ育ったことによって、その激情なり攻撃性なり暴力性なりが、早いうちから視覚化されて、より強くなってたんだと思う。

そしてその攻撃性・暴力性の象徴も、当然

「牛は黒牛、すごい鼻息♪」です。みなさん歌いませんでしたか『トレロカモミロ』



まぁ露骨に黒牛とか性描写とかがなくっても、ピカソの人生それ自体が「攻めの姿勢」、攻撃と挑発の連続でしたからねぇ。

暴力と親密なエロス。

天才的な性豪ですよ。

それだけ閉塞感とか束縛感を覚えてたってことでしょうが……。

って、マトモに勉強したわけじゃないから言い切るのもおこがましいんだけど。



最後に、マティスと比較されがちなこの人だけど、「描き直し」に着目したときの差をいくつか。

マティスは同じキャンバスの上で何度も描き直す。

ピカソは同じキャンバスの上では迷い線を描かない。

描き直すとしたら、別のキャンバスor紙で。

しかも描き直すにしたって、腕とかのパーツの配置を変えるだけで、胴体・頭部みたいなメンパーツの位置は変わらない。

やっぱ、「さっさと解放されたい」願望を感じますね。

同じぶ〜たい〜にな〜がく〜はい〜ら〜れっなぁい、みたいな。

マティスはまだ、自分を縛ってるものへの遠慮みたいなのがあったと思うんですよ。

「ごめん、でもちょっと苦しいから離して」みたいな。

どっちがいい・悪いじゃなくって、それが同じ現代美術好きでも「ピカソに行くか・マティスに行くか」を分けている一要因の気がしますね。

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